おやぢの部屋2
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SIXTEN/Requiem
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Karin Ingebäck(Sop)
Anders Larsson(Bass)
Ragnar Bohlin/
The Sweden Radio Choir
The Nordic Chamber Orchestra
INTIM MUSIC/IMCD 120




1962年に生まれたスウェーデンの作曲家、フレドリク・シクステンは、主に教会音楽のジャンルで数多くの作品を世に送っています。これまでに聴いたことがあるのは、「スウェーデン語によるマルコ受難曲」だけですが、その時にはいかにもスウェーデン・ローカルなのどかな音楽だったような印象がありました。
今回の「レクイエム」は、それとはだいぶ様子が異なっています。作曲家がこの曲を作ろうとした動機は、彼の親友が若くして亡くなった時に、その思いをなんとしても言葉と音楽によって表現したいという、作曲家としての使命感のようなものだったというのですからね。
その時に彼が考えたのが、通常の「レクイエム」の典礼文の他に、彼のパートナーであり、「マルコ」のテキストも作っていた詩人ベンクト・ポーヤネン(きっと間違っている表記)によるスウェーデン語のテキストを用いることでした。ただ、これはラッターやブリテンの同名曲のような、全く別の曲としてそのテキストを使った曲を作るのではなく、あくまで古典的な「レクイエム」の形式は守った中で、それぞれの曲の中に、そのポーヤネンのテキストによる音楽を挿入するという手法です。
曲の構成は、フォーレやデュリュフレと同じタイプ、編成はソプラノとバスのソリストと混声合唱に弦楽器にホルン2本とティンパニが加わったオーケストラにというものです。
不気味なティンパニに乗って始まる「Introitus」などは、まるで無調かと思われるような刺激的なフレーズを演奏、それは緊張感あふれるスウェーデン語のテキストを導き出すもので、ネイティヴにとってはかなりのインパクトとなったことでしょう。そこに、「Requiem aeternam」というラテン語のテキストが入ってくると、音楽はほんの少し安らかなものに変わります。そんな感じで、この異種のテキストの混在は、ラテン語だけの時よりも立体的、あるいは具体的な情感を聴衆に与えることになっているのではないでしょうか。スウェーデン語には全く縁のない我々でも、その音楽の持つ緊張感によって、それはきちんと伝わってきます。
しかし、その2つの言語は、やがて収斂の方向に向かっているようです。まるでフォーレの作品のような美しいソプラノ・ソロによる「Pie Jesu」では、合唱によるスウェーデン語のテキストは、ラテン語のソプラノをやさしく包み込みます。そして、弦楽器によるこの曲のエンディングが終わらないうちに、アタッカで無伴奏の「Agnus Dei」が始まります。これは、まさにこの作品の白眉でしょう。
同じように最後の「In paradisum」も、とても美しい音楽に仕上がっていました。スウェーデン語の部分がすでにいかにも北欧のフォーク・ミュージックのようなとてもキャッチーな音楽に変わっていますが、それがひとくさり盛り上がった後に、まるでデュリュフレのあの最後の合唱のような透明感あふれる音楽がラテン語で歌われます。その瞬間、シクステンによってもたらされた北欧音楽とラテン語の宗教音楽との見事な融合が見事に感じられました。同時に、彼の亡き親友に対する思いも。
カップリングは、同じコンサートで歌われていたエリック・ウィテカーの「When David heard」です。英語のテキストは旧約聖書に登場する、ダヴィデ王が息子アブサロムの謀反に対して反撃を講じた際に、そのアブサロムが殺されたことを知って嘆き悲しむ部分から取られていて、無伴奏のクラスターの中でひたすら「My son」という言葉を繰り返すという印象的な作品です。
残響の多いライブ録音に対応できなかったエンジニアのせいなのか、ノーマルCDのせいなのかは分かりませんが、合唱の高音が明らかに頭打ちになっている録音は、かなり辛いものがあります。おそらく当日のスンズヴァルのグスタフ・アドルフ教会では、こんな糞詰まりのような音ではなく、もっと伸びのあるサウンドが響き渡っていたことでしょう。

CD Artwork © Intim Music
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by jurassic_oyaji | 2014-12-14 20:12 | 合唱 | Comments(0)