おやぢの部屋2
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GRAUN/Der Tod Jesu
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Monika Mauch(Sop), Georg Poplutz(Ten)
Andreas Burkhart(Bar)
Thomas Gropper/
Barockorchester L'Arpa Festante
Arcis-Vokalisten München
OEHMS/OC 1809




1755年に、当時のフリードリヒ大王の宮廷楽長だったカール・ハインリヒ・グラウンが作曲した受難オラトリオ「イエスの死」がベルリンで初演されました。この曲は、その後130年にわたって聖週間には演奏され続ける(毎年ではありませんが)という、とんでもないヒット曲となりました。さすがに現在ではそれほど頻繁に演奏されることはありませんが、CDはすでに何枚か出ていて、そこにこの2014年にミュンヘンで録音されたばかりの新しいアイテムが加わりました。
どのCDでもこのオラトリオは「グラウン作曲『イエスの死』」と呼ばれていますが、そもそもこの作品はフリードリヒ大王の妹で、自らも作曲をたしなむアンナ・アマリア女王が、作曲家ではなく、作詞家に対して委嘱したものでした。そんな異色の委嘱を受けたのは、当時高名な詩人、翻訳家として宮廷で活躍していたカール・ヴィルヘルム・ラムラー。彼は親友の詩人ヨハン・ヴィルヘルム・ルートヴィヒ・グライムの協力の下、1754年7月には台本を書き上げ、その作曲をグラウンに託したのです。
作曲は滞りなく完了し、1755年の3月26日(聖週間の水曜日)に初演を迎えたのですが、なんとその1週間前に、ハンブルクでそのラムラーのテキストにあのテレマンが作曲した「イエスの死」が初演されていたのでした。この曲のCDは、この「おやぢの部屋」の記念すべき第1回目のエントリーとしてこちらで取り上げていましたが、確かにそのテキストはすべての曲がまったく同じものでした。さらに、最初に歌われるコラールの旋律も、バッハが「マタイ受難曲」で用いたハスラーの「受難コラール」だというところも共通しています。おそらく、ラムラーの台本のコピーが、何者かの手によってハンブルクのテレマンのもとに届けられていたのでしょうね。その「犯人」がだれなのかはもはや知るすべもありませんが、グラウン自身がそれにかかわっていた、という説もあるのだそうです。
この時代になると、かつてバッハが作っていたような、自由詩によるアリアを聖書のテキストでつないでいくという「オラトリオ風受難曲」はもうすたれていて、すべてのテキストを自由に書き起こす「受難オラトリオ」がもっぱら作られるようになっています。長生きをしたテレマンは、その両方の様式に手を染めたということになりますね。
テレマンの場合はソリストがSATBの4人ですが、グラウンではアルトがなくて3人だけ、そして、それぞれのアリアの担当も異なっています。ラムラーはアリアのパートまでは指定してはいなかったのでしょうが、ここでグラウンがアリアに割り振ったパートは、とてもよく考えられたもののように思えます。最初の2つのアリアはソプラノがコロラトゥーラを交えてとても華やかに迫りますが、そのあとのテノールのアリアでは一転してしっとりとしたものに変わります。ここでは、半音音階で上昇して、全音音階で下降するという、まるでモーツァルトのようなメロディ・ラインが頻繁に表れ、豊かな情感が歌われます。さらに、そのあとにはバリトンが、とても重みのある深刻なアリアを歌うというように、徐々に敬虔な心に導かれていくのです。それが、次のソプラノとテノールのデュエットになると、とても穏やかで誰しもが癒されるような音楽が聴こえてきます。それまでは、ほとんど弦楽器と通奏低音だけだったオーケストラにも2本のフルートが加わり、一層のやわらかい響きがもたらされ、聴く者の心を解き放すかのようです。
この作品がこれだけ長い年月にわたって聴かれ続けたのも、そんな考え抜かれた構成があったからなのでしょう。ただ、このCDでは合唱があまりにも弱すぎます。単に美しい響きを出すことだけに終わっていて、そこから何かを伝えようという力が全く感じられないのです。ここで指揮をしているグロッパーが作った合唱団だというのに。

CD Artwork © Oehms Classics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-03-15 21:32 | 合唱 | Comments(0)