おやぢの部屋2
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皆既月食とレクイエム
 きのうの皆既月食、東京あたりでは見えなかったそうですね。どうやら仙台とか北海道だけで全部見ることが出来たようで、そんなんだったら、私のへたくそな写真でも少しは価値が出てくるのではないか、と、アップすることにしました。
 なんせ、自宅のベランダの真正面で見えましたから、たまに外に出て写真を撮っていればいいのですから、楽なもんです。ただ、月食が始まる時間になっても結構雲が厚くて、なかなか月全体の姿が見えないな、下の方に雲がかかってるな、と思っていたら、それが実は月食だったことに気が付いたのはちょっと間抜け。
 ですから、撮り始めた時点でもうこのぐらい欠けていました。いちおう200㎜の望遠を使いましたが、今まで月なんか撮ったことがないので、なかなかはっきりした画像が撮れなかったのですが、結局マニュアルで感度を落として何とかこんな感じになりました。


 このあたりになるとほとんどバルブに近くなるので三脚が必要になってきました。でも、うちにあるのはちゃちなやつで、シャッターを押しただけでブレてしまいます。これだけ、やっとまともに撮れました。
 下から欠けてきたので、出てくるときも下からかと思っていたら、左側から明るくなってきましたね。
 結局、終わりごろには雲はすっかりなくなって、きれいな月が撮れましたよ。
 そして今日は、盛岡までモーツァルトの「レクイエム」を聴きに行ってきました。メインの合唱が盛岡バッハ・カンタータ・フェラインですが、そこの代表の方(東北大混声のOB)とこの間の「バチカン・レクイエム」とかその前のヴェルディで知り合いになって、チケットをいただいたものですから。
 会場は、盛岡市民文化センターという、盛岡駅から歩いてすぐのところに割と最近できたホールです。山形交響楽団がずっと続けてきたモーツァルトの交響曲全曲の演奏会の最後として山形で演奏された「レクイエム」を、その時の合唱団の指揮者と同じ方が指揮者を務めているこの盛岡の合唱団が加わって盛岡で演奏する、というもののようです。
 その前に、「ジュピター」がオーケストラだけで演奏されました。このシリーズでは指揮者の徹底したピリオド・アプローチが実践されていて、金管とティンパニがピリオド楽器、弦楽器もガット弦にノン・ビブラートというやりかたです。正直、弦の人数も少なく(8.8.6.5.3)あまり響かないホールの上にそのようなストレスの多い奏法ですから、ちょっと指揮者の方向性がいまいちつかめなくて退屈してしまいました。
 しかし、「レクイエム」で合唱が入ってきたときには、もう「腰が抜ける」ぐらいの衝撃を味わってしまいましたよ。なんというスケール感。ただ人数が多いだけではなく、ピッチもしっかりコントロールされていますから、人数以上のものすごいエネルギーが伝わってきます。それがそのまんま見事なピアニシモまで表情を変えられるのですから、たまりません。なんか、とんでもないものを聴いてしまったな、という感じです。「Lacrimosa」での「Huic ergo parce Deus」のピアノなどは、涙が出てくるほどの美しさです。
 日ごろよく聴いている、コンクールで全国金賞、というような合唱団とは全然違うベクトルを持ったこの合唱団が放つエネルギーには、圧倒されっぱなしの1時間でした。ただ、その合唱に対して、このオーケストラの方向性が全くかみ合わなかったというのも、痛感されてしまいました。かたくなにピリオドの様式を貫いていたら、このせっかくの合唱の魅力が半減してしまいます。
 それと、プログラム・ノーツには痛恨の誤記が。その前にきちんと「ジュスマイヤーはアイブラーの編曲を破棄」と書いておきながら、そのあとの解説ではしっかり「オーケストレーション:アイブラー」となっているのですからね。
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by jurassic_oyaji | 2015-04-05 22:25 | 禁断 | Comments(0)