おやぢの部屋2
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SHOSTAKOVICH/Symphony No.7
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Paavo Järvi/
Russian National Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 511(hybrid SACD)




知り合いにショスタコーヴィチおたくがいますが、その人は「交響曲第7番」のCDを全部で48枚持っているのだそうです。今までにこの曲が何人の指揮者の演奏で録音されたのかは分かりませんが、この数字は限りなくその総数に近いのではないでしょうか。かつてバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を編曲も含めると100枚以上持っていると自慢していた俗物の小説家がいましたが、そんなレベルとは次元の違う話です。そんな人に、このSACDを持っているか聞いてみたら、注文はしたけどまだ現物は入手していないんですって。私は彼がまだ持っていない49枚目のCDを買ったことになるので、その時だけは「勝った!」と思いましたね。
そんな、とても足元にも及ばないマニアが世の中にひしめいているのがショスタコーヴィチの世界です。そして、ちょっと深みに迫ろうとすれば、とんでもない泥沼に足を突っ込んでしまうのが、彼の作品です。なにしろ、「我々のファシストとの戦い、我々の敵軍に対する勝利、私の生まれ故郷レニングラードに、私の『交響曲第7番』を捧げる」という作曲家自身の言葉から「レニングラード」というサブタイトルが付いているこの「7番」にしても、その言葉が果たして彼の本心から発せられたものなのかどうかということすら、はっきり分かってはいないのですからね。
このSACDのブックレットでは、フランツ・シュタイガーという人が、そんな作曲家の言葉を真っ向から否定したことでセンセーションを巻き起こしたソロモン・ヴォルコフによる「ショスタコーヴィチの証言」からの引用からライナーノーツを書き起こしていることからも、いまだにヴォルコフの示したものがこの世界で影響力を保っていることを知らされます。これは、先日ご紹介した「戦火のシンフォニー」とは対極のスタンスです。
とは言っても、それはあくまでシュタイガーさんのスタンスであって、別にここで演奏しているアーティストの意向が反映されたものではないというのは、良くあることです。ところが、これまでこのレーベルに、ショスタコーヴィチの交響曲のうちの7曲を4人の指揮者とともに録音してきたロシア・ナショナル管弦楽団と、彼らが「7番」を録音するにあたって選んだ指揮者、パーヴォ・ヤルヴィは、まさにそんなスタンスでこの作品に向かっていたのではないか、と思わせられるほどの演奏だったのには、ちょっと驚かされました。
ここで聴くことのできる彼らの演奏は、とてもスマートなスタイルに支配されています。第1楽章の冒頭のテーマなどは、いかにもこの作曲家らしい重々しいものなのですが、それがとてもしなやかな語りくちで現れていますし、その合いの手の金管なども何の重みもないものでした。そこには、この曲にまつわるもろもろの「逸話」からは少し距離を置いて、あくまで楽譜に忠実に音楽を作り上げ、そこからおのずと作曲家のメッセージが抉りだされるように仕向ける、といったクレバーなスタンスさえも感じることが出来ます。
そして、「敵軍の行進」とされている有名なテーマが、まるでラヴェルの「ボレロ」を借用したようなオーケストレーションで延々と続く部分でも、ヤルヴィの冷徹な視点は健在です。この部分をラジオ放送で聴いたバルトークは、そのあまりのアホっぽさに腹を立てて、自作で揶揄することになるのですが、それこそがショスタコーヴィチが仕掛けたどす黒い「罠」であったことを、もしかしたらヤルヴィは意識して際立たせていたのかもしれません。
曲を締めくくるバンダで補強された大編成の金管の咆哮も、決して「熱く」は聴こえて来ない冷やかさ、そんな演奏であれば、最後の最後に登場する作曲家のセルフ・パロディがどんな意味を持ってくるかも、明白に伝わってくるのではないでしょうか。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2015-05-01 21:06 | オーケストラ | Comments(0)