おやぢの部屋2
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PENDERECKI/Magnificato, Kadisz
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Soloists
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Choir(by Henryk Wojnarowski)
Warsaw Boy's Choir(by Krysztof Kusiel-Moroz)
Warsaw Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.572697




先日の新垣さんの本の中では、彼の依頼主であるS氏が交響曲第1番をペンデレツキのところに見せに行って断られた、というエピソードが語られています。S氏の本当の狙いはなんだったのかは触れられていません(というか、新垣さんにもわからない)が、もしかしたらS氏はただのミーハーではなく、かなり深いところでこの作曲家を捉えていたのかもしれません。新垣さんが作った「交響曲」の実物は聴いたことがありませんが、実際に聴いた人の言葉などから想像すると、マーラーやショスタコーヴィチの音楽を多分に「参考にして」作られたもののようですね。もちろん、その仕上がりは国内の音楽界では絶大な影響力を持っている自称作曲家の方でも絶賛するほどの巧妙なものだったのですが、ペンデレツキの最近の作品には、それと似たような作られ方をしたものが多いのですね。「交響曲第8番」などは、マーラーの作品だと言って聴かせても、知らない人だったら本気にするほどの音楽ですから。ですから、もしS氏にそこまでの認識があったとしたら、これは「同業者」としての会見となっていたはずです。「オレもあんたのマネをしてこんなのを作ってみたけど、売れそうかい?」みたいな話をした、とかね。まあ、そもそも本当に会ったのかどうかも分からないのですから、想像だけは思い切り派手に広げてみてもいいんじゃないでしょうか。
もう80歳を過ぎても、ペンデレツキは精力的に作曲活動を行っています。今年の3月には最新作の「トランペット協奏曲」が初演されていますしね。これは、今年の11月の再演の予定も決まっているそうです。そんなことが出来るのは、彼はまさに「今」の「現代音楽作曲家」に求められている作曲家としてのスキルを完璧に身につけているので、各方面からの作曲の委嘱が引きも切らないからにほかなりません。
今回のお馴染みのNAXOSの一連のペンデレツキの録音の最新アルバムで、いつものアントニ・ヴィットの演奏を聴いてみると、そんな「スキル」はかなり初期の段階から、彼の中にあったのでは、という気が猛烈にしてきました。もちろん、それは、作曲技法としての「スキル」ではなく、その時代の聴衆が求めているものを敏感に感じ取るという「スキル」です。おそらく彼は、自己の存在意義を徹底的に突き詰め、そこから真の音楽のあるべき姿を探るという孤高の「芸術家」というよりは、いかにして自分の作ったもので世の中の人たちが幸せになるかを追求するという「職人」タイプの作曲家なのでしょう。
NAXOSから出ている一連のアントニ・ヴィットの指揮によるペンデレツキの作品群のアルバムからは、もしかしたら意図的にそのような作曲家の内なる心をはっきりと示すことを目的にしているのではないかと思えるほどの、冴えたカップリングのセンスが感じられます。今回も同じやり方、1974年の「マニフィカート」と、2009年の「カディッシュ」を並べることによって、作曲家がそれぞれの時代に誰に向けて曲を作っていたのかがはっきりわかるはずです。
久しぶりに聴いた「マニフィカート」には、1966年に初演された、それこそ「前衛」のシンボルとも言える「ルカ受難曲」のようなテイストが、たびたび顔を出します。このあたりは、彼にとっては「前衛の総括」に余念がなかった時期になりますから、そのような少し前のスタイルもまだ取り入れつつ、それをいかにして同時代の嗜好に合わせていくのかという模索のあとなのでしょう。
そこで、同じヴィットによる「ルカ」の録音を聴きなおしてみるか、と聴いてみたら、そもそもこれ自体がしっかり聴衆を意識した曲作りをしていたことに気づきます。それはまさに、その時代の聴衆が求めていたものだったのです。
ごく最近の作品「カディッシュ」の3曲目の無伴奏男声合唱などは、「歌う人」の気持ちをとても大切にしたもの、さぞかし「需要」があることでしょう。

CD Artwork © Naxos Rights US. Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-07-02 21:13 | 現代音楽 | Comments(0)