おやぢの部屋2
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LISZT/Geistliche Chormusik
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Hans-Joachim Lustig/
Kammerchor I Vocalisti
CARUS/83.465




シュトゥットガルトにある楽譜出版社Carusは、バッハなどでも今までの原典版とはちょっと異なる新しい視点からの校訂を行ったユニークな楽譜を出版していて、なかなか目が離せません。
これは、そんな楽譜出版社が運営しているレーベル。そのために、常に楽譜とリンクした形でCDをリリースしているという姿勢は、特に合唱の「現場」の人にとってはとてもありがたいものではないでしょうか。演奏された音を聴いて「いいな」と思ったら、それはすぐ楽譜が手に入るという状態になっているのですからね。ということで、このフランツ・リストの「宗教的合唱音楽」を集めたCDでも、ブックレットにはしっかり印刷楽譜の品番が掲載されているということになるのです。
技巧のたけを凝らしたピアノ曲での派手さとはうって変わった晩年の宗教的な合唱曲のたたずまいは、有名な「十字架への道 Via Crucis」を聴けば分かります。あの聖櫃なテイストは、まさに一切の虚飾を排したうえでの自らの敬虔な思いが反映されたものなのでしょう。あるいは、音楽で何かを語ることの意味を、深いところで見出した帰結だったのかもしれません。
このCDに収められているのは、1852年という割と早い時期の作品「Ave Maria」から、リストが亡くなる1886年の前の年に作られた「Salva Regina」までのものですから、晩年に向かって音楽が内省的に変化していく様子がよく分かります。その中間地点あたりの1871年に作られた「Ave verum corpus」では、同じテキストに作曲されたモーツァルトのあの有名な曲とは全く異なった世界が広がっているのにも驚かされます。執拗に繰り返される下降音型の応酬からは、まるで慟哭のような悲痛な思いが伝わってくるようです。
ほとんどホモフォニーで進んでいくシンプルな合唱からは、時折ブルックナーのモテットのような響きが聴こえてきます。ほぼ同じ時代にこの二人が残した合唱曲の中から、それぞれの作曲家の本質、あるいはエッセンスのようなものが伝わってくるというのは、何か不思議な気がします。
演奏しているのは北ドイツの経験豊かなメンバーが集まって1991年に創設された合唱団です。ドイツの団体なのに「I Vocalisti」というイタリア語の名前を付けているのがかわいいですね。ただ、いかにもイタリア語っぽい感じのこの言葉ですが、なぜか伊和辞典には載っていません。確かにこれはイタリア語としては違和感があります。おそらくこれは、日本語と同じ、「ヴォーカリスト」という英語に由来する外来語なのでしょう。たくさんいるので、複数形で最後に「i」を付けたとか。実際の人数は「20人から60人」ということで、メンバーはそれほどきっちり固定されたものではないようですね。今回のCDでは、メンバー表には40人の名前があります。それでも、発声は統一されていますし、音色もとてもピュアなうえに、ハーモニー感もしっかりしているという、かなりレベルの高い合唱団のように感じられます。最初の音を聴いたときは。しかし、この声は長く聴いているとだんだん「つまらなく」なってきます。あまりにもピュアすぎて、何かを訴えようという「力」が全く感じられないのですね。もちろん、表現するためのテクニックはしっかり備わっていて、そこからはとても分かりやすいクレッシェンドやディミヌエンドを聴くことが出来るのですが、それがまるでフェーダーを上げ下げしているような、とても「無表情な表現」なんですよ。確かに、このあたりのリストの合唱曲には「死」」を意識したものがないとは言いませんが、それはこのような「死んだ演奏」によって表現されるものではないような気がします。
さらに、相対的なハーモニー感はとても立派なのですが、無伴奏で始まって途中でオルガンが入る曲では、そこで半音近く音が下がってしまっていました。これも、あまり張り切らない元気のなさが、悪い方に作用したためなのでしょう。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2015-08-12 20:32 | 合唱 | Comments(0)