おやぢの部屋2
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PIGOVAT/Holocaust Requiem
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Anna Serova(Va, Vn)
Nicola Guerini/
Croatian Radio & Television Symphony Orchestra
NAXOS/8.572729




ボリス・ピゴヴァートという作曲家は1953年にウクライナのオデッサで生まれ、モスクワの音楽大学に入学、のちにイスラエルに渡りそこの市民権を得て、現在は国際的な活躍をしている方なのだそうです。あいにく、これまでに彼の作品に触れることは全くありませんでしたが、今回、その名も「ホロコースト・レクイエム」という、なんかとてつもない感動を呼びそうなタイトルの作品が収められたCDがリリースされたので、聴いてみることにしました。ちょっと気になるのが、日本盤のタイトルが「レクイエム『ホロコースト』」となっていること。これって、とてつもなくダサい感覚なのではないでしょうか。ブラームスの作品を「レクイエム『ドイツ』」というようなものですからね。どいつがそんなことを言ったんだ!
この「ホロコースト」は、「レクイエム」としてはかなり特異な形をとっていました。通常はこういうタイトルの曲では合唱とか歌のソリストが加わるものですが、ここにはそれが一切ありません。いえ、ピゴヴァートさんも最初は、最近の「レクイエム」にはよくあるように、昔からあるラテン語の通常文のテキストに現代のテキストを交えて、普通にソリストや合唱、さらにはナレーターも入るという編成で構想を練っていたのだそうです。しかし、やがてそのようなものは、この作品の音楽的なメッセージを損なうものだと判断し、声楽のパートは削除して、代わり人間の声に最も近いヴィオラのソリストを立てることにしたということです。なかなか潔い決断ですね。
その結果、曲は「Requiem aeternam」、「Dies irae」、「Lacrimosa」、「Lux aeterna」という、4つの楽章からなるヴィオラ協奏曲のようなものに仕上がりました。それぞれの楽章は、「レクイエム」になじんでいる人であれば別に歌詞がなくてもその内容はおおよその見当が付きますから、しっかり「音楽」に浸ることができるだろう、という目論見ですね。まずしっとり死者を悼んだ後に襲ってくる恐怖感、ひたすら涙を流すしかないものも、やがては永遠の希望に変わる、といった、非常に分かりやすい設計なのでしょう。
実際に聴いてみると、それは、そのような誰でも抱く期待を完璧に満たすものであったところに、まず良識あるリスナーは眉をひそめることでしょう。「Requiem aeternam」あたりでは、まだ音楽に対する真摯な心が伝わってくるような気がしていたものが、「Dies irae」になったとたん、それはなんとも底の浅いものに変わります。なにか、有名な「レクイエム」からアイディアをパクったように思えるのは、もちろんそれらの「お手本」であるグレゴリア聖歌のテーマを使っているからなのでしょうが、そこからは何とも画一的な「予定調和」の世界しか見えてはこないのです。「Lacrimosa」での執拗な「ラクリメ」の応酬も、いかにもな手口です。そして「Lux aeterna」に至って、この作曲家の正体が明らかになります。それまでは、例えば弦楽器のトーン・クラスターなどでリゲティの模倣を試みたり(もちろん、それは「本家」とは似ても似つかぬ志の低さでしかありませんが)して、精一杯自作を深刻ぶらせることに腐心していたものが、ここではストレートに彼自身の本来の資質が丸裸の状態にさらされているのですね。それは、毒にも薬にもならない、ただ甘ったるいだけで心に響くものは何もないという、使い捨ての音楽そのものです。
カップリングは、ソリストがヴィオラをヴァイオリンに持ち替えた「Poem of Dawn」という、「レクイエム」からは15年ほど経った2010年に作られたピースです。ここでは、さっきのようなある意味自作を飾りたてる必要のない分、その底の浅さは際立ちます。これは「ロシアのロマンティックな楽派」を継承したものなのだそうです。確かに、ここにはラフマニノフのようなテイストが満載、しかし、それを今やることに何の意味があるというのでしょう。富田勲に堕するには、ピゴヴァートさんはまだ若すぎます。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc
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by jurassic_oyaji | 2015-08-20 20:06 | 現代音楽 | Comments(0)