おやぢの部屋2
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Nostalgia
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田村麻子(Sop)
江澤隆行、直江香世子(Pf)
String Quartet Leone
NAXOS/NYCC-27291




「ノスタルジア」というタイトルの、「郷愁」がテーマとなったアルバムです。しかし、「郷愁」という概念は極めてパーソナルなファクターに支配されるものですから、もしその曲をアーティスト自らが選んでいたのだとしたら、そこには彼女の個人的な思いが反映されているはずです。現に彼女はライナーで「いずれも私自身が後世に歌い継いで行きたい作品ばかりです」と語っているのですから、それは間違いのないことなのでしょう。キャリアの大部分を外国で築いてきたソプラノ歌手の郷愁が反映された日本の歌とはどういうものなのか、かなり興味があります。
実際にそのラインナップを見てみると、それは意外なほどに「まとも」なものでした。「シャボン玉」、「七つの子」、「朧月夜」、「浜辺の歌」など、この手の「愛唱歌集」などには必ず登場する「唱歌」と呼ばれるものが大半を占めているプレイリストは、何かホッとさせられるものです。彼女の年齢は知る由もありませんが、少なくともそのような「唱歌」にリアルタイムで親しんだ世代とはかなり隔たりのあることは確か、そんな「若い」世代にも、きちんと郷愁と思われるほどの存在感を、これらの曲はまだ示すことが出来ていることが確認できたことに対する安堵感が湧いても不思議ではないでしょう。
とは言っても、例えば「虹と雪のバラード」のような、おそらくある特定の世代でなければ郷愁たりえないような曲が歌われている、というのも、それが個人的な思いからきていることの証です。さらに、中田喜直の「霧と話した」のような、ちょっと不思議なジャンルのものが入っているのも、やはり彼女の個人的な選曲の所以でしょう。
彼女が、これらの曲に心からの共感をもっているのは、その歌い方で分かります。この手の「クラシックの歌手が歌った愛唱歌」にありがちな不快感が、ここでは全く感じることが出来ないのです。最もうれしいのは、言葉が本当に美しく歌われていることです。子音を多く含む日本語は本来ベル・カントにはなじまないもので、そこからは今までにどれほどの勘違いが生まれてきたことでしょう。しかし、彼女は違います。決して日本語の語感を損なうことなく、それでいて張りのある声を犠牲にすることもないという、とても高度な歌い方を身に付けていたのです。いや、彼女は、単に言葉を「美しく」歌うだけではなく、歌詞そのものに込められた意味をほとんどオペラのように強いインパクトで伝えるという、単なる唱歌をさらに音楽的に昇華させたものにまで高めるという技まで持っていました。
そのあたりの意気込みは、最初のトラックの「シャボン玉」で分かります。オープニングに無伴奏で歌われたシャボン玉のイメージは、まるでサッカーボールほどの大きさのある、肉厚のゴム風船のようなものでした。時にはその意気込みがあまりにも唱歌の素朴さには似つかわしくないような気がすることもありますが、おそらく彼女は単なる「抒情歌」には終わらない何かをそれらの中に求めていたのではないでしょうか。唱歌ではありませんが、山田耕筰の「この道」での歌詞に対する熱いアプローチなどを聴くにつけ、そんな思いは募ります。
ほとんどの曲はピアノも演奏している直江さんが編曲を担当しています。ピアノと弦楽四重奏という編成ですが、ありきたりの伴奏には終わらない、かなり高度な「作品」としての仕上がりを持った編曲ですので、聴きなれた曲から新たな魅力を感じ取ることも、そして、聴きなれた曲だからこそ、あんまりいじってほしくはないと思うこともあるという、ちょっと聴き手を選ぶようなものでもあります。そんな両刃の剣の最たるものが「早春賦」ではないでしょうか。ピアノの鳥の声の模倣から、まだ鳴くことのできない鶯の苦悩までも感じたとしたら、それは正しい編曲ではありません。

CD Artwork © Naxos Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-09-01 23:43 | 歌曲 | Comments(0)