おやぢの部屋2
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WAGHALTER/New World Suite
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Alexander Walker/
New Russia State Symphony Orchestra
NAXOS/8.573338




ドヴォルジャークがアメリカに渡って「新世界交響曲」を作ったのは1893年でしたが、それから半世紀近く経って、やはりヨーロッパからアメリカに渡った作曲家が今度は「新世界組曲」を作ったなんて話は、誰も知らないでしょうね。
その作曲家の名前は、イグナーツ・ワーグハルター、1881年にポーランドに生まれたユダヤ人です。このレーベルからは2枚目の作品集となります。今回の収録曲はそのほかに、オペラ「マンドラゴラ」からの序曲と間奏曲、そして、「マサリクのための平和行進曲」です。
彼は生きた時代と出自のために、紆余曲折の多い生涯を送ります。若いころから作曲家として認められ、さらに彼は指揮者としても、2つの歌劇場で修行の後、1912年にベルリンに新しくオープンした、後に「ベルリン・ドイツ・オペラ」となるオペラハウスの初代音楽監督となります。
すでにオペラも作曲していたワーグハルターは、1914年に彼のオペラハウスで2作目のオペラ「マンドラゴラ」を上演しました。これは一大イヴェントだったようで、客席には当時の名だたるオペラ作曲家、R.シュトラウス、ブゾーニ、フンパーディンクなどが座っていたそうです。
ここで聴ける「序曲」も「間奏曲」もとても素敵なメロディに彩られています。例えば「名曲アルバム」のような形で紹介されれば、絶対にみんなに「うける」こと間違いなしの曲です。
しかし、第一次大戦後に台頭してきたドイツの国家主義は、彼にとっては不利なものでした。1923年の「サタニエル」という民族的なプロットとテーマが用いられたオペラは、批評家からはさんざんに叩かれます。オペラハウスの破産もあって、彼は乞われてアメリカに渡り、ニューヨーク交響楽団(1928年にもう一つのニューヨークのオーケストラに吸収され「ニューヨーク・フィル」となる)の音楽監督となるのです。しかし、彼は1シーズン務めたところで故郷が恋しくなり、ベルリンに戻ります。
ヨーロッパにもどったワーグハルターは、また作曲や指揮活動に専念しますが、いよいよナチズムによる追求が厳しくなると、再度アメリカに渡る決心をします。その途中に寄ったチェコスロヴァキアで、1918年から1935年まで大統領を務めたトマーシュ・マサリクの退職を祝う曲を委嘱されます。それが「マサリクのための平和行進曲」です。とても格調が高く、隙のない構成には惹かれます。ここで彼は、自筆稿に、反ナチスの姿勢を持つマサリクに向けて「ゲットーを出て自由へ」という献辞を添えています。
1937年に再度ニューヨークにやってきたワーグハルターは、前回とは全く異なるサイドでの活動を始めます。それは、一流オーケストラには決して雇ってもらえない黒人の演奏家のために「アメリカン・二グロ・オーケストラ」を結成することでした。そして、そのために作ろうとしたのが、お待たせしました、「新世界組曲」です。彼は、前回の渡米の折に、アーヴィング・バーリンやジェローム・カーンそしておそらくジョージ・ガーシュウィンと知己になっています。そこで得られた「アメリカ音楽」のエキスを、この「組曲」に込めたのです。このオーケストラの結成と、ガーシュウィンが数年前に作った「黒人だけのオペラ」とは、無関係ではないはずです。
10曲から成るこの「組曲」は、それぞれに魅力が満載です。そして、アメリカっぽいと思われるのは、ラグタイム風のリズムと、フォスター風のメロディです。3曲目の「賛歌と変奏」の途中で出てくるテーマが、そんな、確かにどこかで聴いたことのあるキャッチーなものだと思ったら、それは「マルちゃん正麺」のCMでした。
この「組曲」は結局全曲が演奏されることはなく、オーケストラも解散してしまいます。200ページに及ぶ自筆稿は封筒に入って誰にも知られずにいたものが、2013年に発見され、ここにめでたく世界初録音となりました。もちろん、他の曲もすべて初録音です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-09-23 20:45 | オーケストラ | Comments(0)