おやぢの部屋2
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あしたはハロウィン
 最近、車でラジオを聴いていると、やたらと「スリラー」が聴こえてきます。あのマイケル・ジャクソンの大ヒット曲ですよね。じっくり聴いてみると、この曲はほとんどがワンコードなんですね。ベースのパターンがずっと変わっていませんでした。あるいは、オルゲル・プンクト?
 そうではなく、なんでこんなに頻繁にこの曲が流れているかというと、今が「ハロウィン」の季節だからなのでしょうね。いつの間にか、実態も伴わないままにこの行事がほとんど年中行事になっていたんですね。まあ、これにちなんだお菓子とか人形を売り出すぐらいでしたらかわいいものなのですが、最近はコスプレのパレードとかパーティーが盛大に、他人をはばかることなく行われるようになっているのですから、本当にみっともないことになっています。よくテレビでそんなパレードの様子を見せていますが、そういうところで得意げにカメラに収まっているような人を見ると、心底軽蔑したくなってしまいますね。あんなものは、真昼間に公道で行うものではありません。やりたければこっそり場末の酒場かなんかでやってくださいよ。
 本当は、そういう社会の迷惑をたしなめるのが大人の役目なのに、逆にこれを奨励している地位も権力もある大の大人がいるのですから、問題は深刻です。そこで登場するのが、いつもの「経済効果」、ハロウィンはついにヴァレンタインデーを抜く経済効果があることが分かったんですってね。儲かりさえすれば、どんな恥知らずなことをやってもいいのだ、というのが、この国の大人のスタンスなのでしょう。私には到底ついていけません。
 私に限らず、この行事(もちろん、本来の伝統行事とは似てもに使わない、ただの仮装大会)を苦々しく思っている人は多いのではないでしょうか。クリスマスやヴァレンタインデーは、確かに本来の意味を超えて広まってしまいましたが、今ではほとんど抵抗なく社会に受け入れられているようになったはずです。しかし、ハロウィンがそういう意味での市民権を獲得することは絶対にないのでは、と、私は強く信じています。
 そのように信じられる根拠を考えてみると、ハロウィンにはほかの2大行事には必ず付随しているものがないことに気づきます。それは、プレゼントです。プレゼントは単なる品物の受け渡しではなく、そこには確かな人間同士のつながりがあるはずです。お互いの気持ちに安らぎを与えることで幸せになれる(あるいはなれない)という、ヒューマニックな側面がある限り、そこにはお金には代えられない価値が存在しているのです。しかし、今のところ、ハロウィンの陰の仕掛け人が用意してきたものはただの醜い仮装大会だけ、そこにはプレゼントの入り込む余地は全くないように見えます。これは、とても大きなミスだったのではないでしょうか。仕掛け人たちが、嘘でもいいからプレゼントを交換するようなシチュエーションをこの行事に与えていたならば、もう少し社会からの冷ややかな視線も少なくできたのではなかったかと、今さらながら憂えています。
 そう、今は何も知らずに盛り上がっているかもしれませんが、この行事にはこの先社会的に容認されるための決定的な要素が欠けている限り、あとは衰退の一途をたどることは目に見えているのですよ。そう思えば、昨今のバカ騒ぎも容認できなくはありません。今あんなことをやっているやつらが、しばらくして大人になって過去を振り返った時に、恥ずかしくて死にたくなっているところを見て、我々は大笑いできるのですからね。
 なんてことを、ジャック・オ・ランタンをスマホの待ち受けにしている人に言われたくはない?
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by jurassic_oyaji | 2015-10-30 21:02 | 禁断 | Comments(0)