おやぢの部屋2
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Simon Rattle/
Symphonie Orchester des Bayerischen Rundfunks
BR KLASSIK/900133




すでに2018年にはベルリン・フィルの音楽監督を辞任することを表明、その後任者もすでに決定しているということもあるのでしょうか、このところ立て続けにサイモン・ラトルがベルリン・フィル以外のオーケストラを指揮しているアルバムを耳にします。この間は次の就職先のロンドン交響楽団、そして今回は、バイエルン放送交響楽団。
もちろん、そんな「浮気」はしていても、今のところの「本妻」であるベルリン・フィルとのコンビが最強の市場価値を持っていることに変わりはありません。来年5月に来日するこのコンビのベートーヴェン・ツィクルスは、5日目の「第9」のS席が45,000円ですって(その他の日は42,000円)。なんか完全に金銭感覚が麻痺しているとしかおもえません。
それはともかく、ラトルとバイエルン放響との「放蕩」は、つい最近、2010年から始まっていたのだそうです。その時の演目が、この前のロンドン響との「楽園とペリ」だったというのですから、驚きです。こういうのも「二股」と言うのでしょうか。
今回のプログラムは、ワーグナーの「ラインの黄金」です。今年の4月24日と25日にヘルクレス・ザールで行われたコンサート形式の上演のライブ録音です。ただ、ラトルと言えば、コンサート指揮者というイメージが強く、オペラを指揮するのはちょっと畑違いなように思われることが多いのではないでしょうか。事実、彼の今までのキャリアの中ではベルリン・フィルでの前任者(カラヤン、アバド)や後任者(ペトレンコ)のようなオペラハウスの音楽監督のようなポストはありませんから、そんな印象をもたれるのは当然のことです。
とは言っても、ラトルのオペラの経験は決して少ないわけではなく、1977年のグラインドボーン音楽祭へのデビュー以来、ウィーン国立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、さらにはニューヨークのMETにも出演していますし、ベルリン・フィルとはザルツブルクやバーデン・バーデンでのイースター音楽祭で毎年オペラの上演を手掛けていますから、「実績」には事欠きません。逆に彼の場合は、オペラハウスでのレパートリーとしてルーティンな仕事に埋没するのではない、もっと主体的な必然性を持った新鮮な視線でのオペラを作り上げることが可能なのではないでしょうか。
今回の「ライン」は、その上にコンサート形式という、舞台の演出には作用されない音楽のみでの勝負ですから、なおさらそんな傾向は強まります。この、2時間半の間一度も停まることのない究極の「無限旋律」を持つ音楽に、ラトルはどのように挑んでいたのでしょう。
確かに、これは、オペラというよりはまるで長大な4楽章から成るシンフォニーを聴いているような感じにさせられるような演奏でした。聴きなれたライトモティーフたちは、微妙にアーティキュレーションが変えられて、ドラマのキャラクターというよりは、まさに音楽的な意味での「モティーフ」のように聴こえてきます。クライマックスを形成する金管楽器の咆哮からも、物語のバックを彩る派手さは消え去り、あくまで音楽の流れにふさわしい和声の構成音としての役割が明確に伝わってくる明晰さが感じられます。
そう、ここではオーケストラはピットの中で歌手に奉仕するものではなく、完全に「主役」としてステージに君臨していたのです。歌手たちは、その前を文字通り軽やかに動き回っているにすぎません。ヴォータン役のミヒャエル・フォレの軽い声も、そんな状況に似つかわしいものです。
ラトルは、このコンサートの直後、5月にはウィーン国立歌劇場で「指環」全曲を指揮しています。その時には、ここでアルベリヒを歌っているトーマシュ・コニエツニがヴォータンを歌っていました。このCDでの演奏とはかなり違っていたことでしょうね。
これは、CDであるが故のストレスは全く感じることのできない、素晴らしい録音です。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-11-09 20:52 | オペラ | Comments(0)