おやぢの部屋2
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Dvořák/Symphony No.9
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近衛秀麿/
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27294




近衛秀麿と読響による学研への録音シリーズ、第3弾はやはり1968年の、これは6月に行われたセッションです。会場が、それまでの杉並公会堂から世田谷区民会館に変わっていますが、そのことによる音の変化はほとんど感じられません。それどころか、前回の「田園」で気になった残響成分が反対側からはっきり聴こえてくるという不思議な処理は今回も同じようになされています。
毎回、ブックレットに掲載されている菅野冬樹氏の書き下ろしエッセイは読みごたえのあるものですが、今回は近衛とストコフスキーとの関係に焦点を当てたなかなか興味深いものでした。ストコフスキーの伝手でアメリカでの活動基盤も出来、これからという時に奇しくも兄の文麿の内閣が日中戦争を始めてしまったために、近衛はもはやアメリカから去るしかなかったというのは、なんとも皮肉なことですね。逆に、彼がアメリカで大成功を収めていたとしたら、こんな「鑑賞教材」の録音のようなチンケな仕事をすることもなく、したがってこのCDが出ることもなかったのでしょうが、それが「歴史」というものなのでしょう。
今回は、前回までの独墺の古典派の作品とはがらりと変わって、チェコのドヴォルジャークの作品です。カップリングとしてスメタナの「モルダウ」まで入っていますよ。その、ドヴォルジャークの「新世界」では、ベートーヴェン同様に近衛自身が楽譜を改変していますが、そのやり方はどうもベートーヴェンの場合とは一味違っているように思えます。もしかしたら、アメリカでストコフスキーと親しくなったことで、なにかエンターテインメントの要素が近衛の編曲や演奏に加わってきたのではないでしょうか。
そんな「新世界」、改変で気になるのが、第1楽章の316小節から始まる2番フルートのソロです。ここでは、チェコのダンスのようなテーマが最初に2番フルートで演奏された後、それを1番フルートが引き継いで1オクターブ上で繰り返す、という部分なのですが、低音で始まる2番フルートのソロを2人で吹かせているのですよ。確かに音が低くあまり聴こえないのを目立たせようという気持ちは分かりますが、ここでの読響のフルーティストは2番の方もとても優秀ですから、1人でも十分に「鳴る」はず、しかも、この録音では管楽器のソロが異様に目立つようなミキシングがされていますから、2人で吹くとびっくりするほどでっかい音になってしまいます。これは近衛の本意ではなかったはず、おそらくこの録音の現場では指揮者がプレイバックを聴いてバランスを修正するというような機会は設けられてはいなかったのでしょう。
もう1か所、目立って聴こえてくるのが、同じ楽章のエンディングのクライマックス、練習番号13(400小節)。本来ならそこからティンパニが入ってくるのが、近衛はその2小節前から叩かせています。これは13へ向けての盛り上がりを演出するとても痛快な処理なのではないでしょうか。
おなじような盛り上がりを演奏の上で企てているのが終楽章です。まず、序奏の最後、トランペットのファンファーレが入る直前で「タメ」というにはあまりにも激しい急ブレーキがかけられます。これこそが、まさにストコフスキーが頻繁に行ったテンポ・ルバートではありませんか。もうこの楽章はそんなルバートをまじえつつ、明るすぎるどんちゃん騒ぎが繰り広げられていますよ。
「モルダウ」では、後半になるにつれてなんだかテンションが下がっていくのはなぜでしょう。そんな中で「聖ヨハネの急流」でのピッコロの高音だけが、やはり異様に強調されています。ですから、最後に長調に変わる「ヴルタヴァのゆったりとした流れ」の部分でもそれこそストコフスキーっぽくピッコロを1オクターブ上げたりすればかっこよかったのでしょうが、近衛はこのへんではそこまではやっていませんでした。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-07 20:56 | オーケストラ | Comments(0)