おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
仙台には、マーラーの「復活」を作曲家の指示通りに演奏できるホールがありません
 この週末は、たまったビデオを見て過ごしていました。まだ「ビデオを見る」というのは死語にはなってませんよね。「カメラを回す」とか「チンする」といった、今では実体が伴わない現象でも、昔同じことに使っていた言葉を流用するという美しい言い方は、残したいですね。逆に、絶対に広まってほしくない美しくない言い方ってのもありますね。最近では「軽減税率」というやつ。こういうといかにも「減税をする」みたいに感じてしまいますが、そんなことはなく、単に「増税をしない」というだけの話です。正しくは「据え置き税率」、だまされてはいけません。
 まず見たのが、最近のN響、ヤルヴィの就任記念コンサートで演奏していたマーラーの2番です。これはやはり映像で見たいもの。オケや合唱の配置とかバンダの出入りなど、様々な見どころがありますから楽しめます。まず、合唱は最初から入っていたのはよかったですね。というか、これが当たり前のやり方でしょう。途中で入るにしても、第1楽章(第1部)が終わったところ以外にはありえません。いつだったか、「原光」の前でドヤドヤ合唱とソリストが入ってくるという信じられないようなことが起きた現場に居合わせたことがありますが、そんなことを許した指揮者の見識を疑ってしまいます。いや、そうではなく、この曲で合唱が座って待っていられるようなコンサートホールがない街に住んでいることこそを恥じるべきなのかもしれません。
 それはともかく、合唱と言えばまずは版の違いですが、ここでは余計なものは一切加わらない形でしたね。キャプラン版での注釈を全て忠実に守った形、ということでしょうか。そして、そのキャプラン版では合唱は最初は座ったままで歌うようにも指定されていますが、それもここでは遵守されていましたね。それは最近では珍しくはないようですが、同時にソプラノ・ソロも座ったままだった、というのがとてもユニークでした。キャプラン版でもそこまでは言ってなかったはず、これはヤルヴィの指示だったのでしょうか。でも、これはとても効果的でしたね。ソリストが合唱のすぐ前だったら、もっと効果的だったのかもしれません。合唱が立つタイミングも、かなり最後近くでしたね。これも、確かキャプランの指定はなかったはずですから、指揮者の裁量に任されているのでしょう。
 バンダが終わって金管がステージに入ってくる場所は、本来の金管とは完全に別なところになっていましたね。都民響でこの曲を「見た」時(この時は、合唱は最初からステージにいました)には、ホルンの後ろに座っていましたが、こちらだと空間的な広がりが出るのでしょうか。もちろん、その時のように打楽器が出たり入ったりすることはありませんでした。
 それにしても、最近の日本のオーケストラは本当に上手になったな、と思います。この映像のN響も、アンサンブルは完璧、音もとてもきれいで、限りなく美しいと思えます。でも、それがものすごく物足りなくも思えてしまいます。この間すぐそばの席で聴いたミュンヘン・フィルの弦楽器などは、みんな全身の力を使って「暴れて」いるのに、このN響にはそれがないんですね。まあ、生と「ビデオ」とでは印象も違うのでしょうが。
 その、さっきの都民響を指揮していたのは、末廣さんでした。いつか、ニューフィルの末廣さんの指揮でこの曲をやりたいものですが、肝心のホールがないのですから、ちょっと無理ですね。
 その末廣さんとそっくりだと思っている小林薫が重要な役を演じている「誤断」というドラマが、今WOWOWで放送されています。この人、写真だとそんなに似ているような気はしないのですが、動いていると本当に似てますよ。ちょっとしたしぐさや表情がそっくりなんですね。そんなのに惹かれつつ見ていたら、たまっていた3回分を全部見終わっていましたよ。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2015-12-14 22:25 | 禁断 | Comments(0)