おやぢの部屋2
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HOSOKAWA/The Raven
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Charlotte Hellekant(MS)
川瀬賢太郎/
United Instruments of Lucilin
NAXOS/NYCC-27298




本来なら「日本作曲家選輯」シリーズの一環としてリリースされるはずの細川俊夫の作品がこんな体裁でリリースされたのは、このシリーズがついに終焉を迎えたのだという意味に受け取っていいのでしょうか。これでまた一つ、レコード業界の「良心」が潰え去りました。
今回は、日本語では「大鴉(おおがらす)」というタイトルになっている、2011年から2012年にかけて作曲された作品が収録されたアルバムです。うどんに一振り(それは「とおがらし」)。委嘱したのは現代音楽を専門に手掛けるルクセンブルクのアンサンブル「ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリン」。2012年の3月17日に作曲家自身の指揮によりベルギーのブリュッセルで初演が行われました。その後、同年の10月25日にアムステルダムで行われた公演で指揮を任された川瀬賢太郎とこのアンサンブル、そして、初演の際のソリストでこの作品を献呈されているメゾ・ソプラノのシャルロッテ・ヘレカントは、2014年に東京の津田ホール(10月27日)と広島のアステールプラザ(10月30日)での日本公演を行いました。このCDは、広島での公演の前日と翌日、同じホールでのセッションで録音されたものです。
「大鴉」というのは、有名なエドガー・アラン・ポーの詩です。ある寒い夜、恋人を失って悲嘆にくれている男のもとに、一羽の大鴉が舞い込んできますが、それはただ一言「Nevermore」という言葉を発するだけ。そんな大鴉と対峙して、男は次第に妄想の世界に入っていく、という多くの示唆に富んだ内容を持っています。細川は、それをテキストにして、女声のソリストと12人の楽器奏者による「モノドラマ」を作り上げました。
元の詩が全部で18のスタンザ(連)で出来ていることから、メゾ・ソプラノが歌う部分も18に分かれています。そしてその間には、前奏あるいは間奏と位置付けられる楽器だけで演奏される部分が入ります。このパートは、その場の情景や心象を極めて雄弁に語っています。それは、もちろんテレビドラマに付けられるような底の浅いありきたりな音楽ではなく、もっと根源的に直接感覚に訴えてくるような種類の音楽です。もし、真の意味での「現代音楽」というものがまだ存在しているのであれば、それが持っている非調和の世界の行きついた最も幸福な帰結と言えるものでしょう。
曲全体の中で常に漂っているのは、もしかしたら風の音なのではないでしょうか。それは、最初は文字通り具体的な「ウィンド・マシーン」によってもたらされるものですが、やがてヴァイオリンのハーモニクスや、バスフルートのムラ息などに形を変えて同じような情景描写が担われます。その「風」が男の心の動きとともに振幅を増す時には、バスドラムや金管楽器が強烈にサポートしてくれます。
その、本来「男」が語っている詩を「歌って」いるメゾ・ソプラノは、最初のスタンザでは完全な「語り」として登場します。その最後の行で、それは「歌」としてのピッチとビブラートを持った声に変わります。しかし、続くスタンザではやはり「語り」に戻ってしまいます。そして、もう一度「歌」が現れるときには、それは紛れもない「能」の形を模倣したものになっていました。やがて、それは「能」のテイストもちつつも、ベル・カントとしてのクライマックスに達します。それが17番目のスタンザ。そのあとにアルトフルートで奏されるほとんど尺八のような音楽には、確かな落ち着きがありました。そして最後のスタンザの最後のシラブルが完全に「ささやき」となると、残るのはかすかな風の音だけ、最後に聴こえてくるのは南部鉄器で作られた風鈴でしょうか。
それにしても、全曲45分間が一つのトラックというのは、ちょっとありえません。これが、途中をトラックで切ると音が止まってしまうNMLのバグを配慮してのことだとしたら、本末転倒も甚だしいのでは。それと、曲の前にあるポーの詩の朗読は、全くの蛇足です。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-19 22:17 | 現代音楽 | Comments(0)