おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
BACH/Mass in B minor
c0039487_20233487.jpg

Maria Keohane, Joanne Lunn(Sop)
Alex Porter(CT), Jan Kobow(Ten), Peter Harvey(Bas)
Lars Urrik Mortensen/
Concerto Copenhagen
CPO/777 851-2(hybrid SACD)




1991年に初めてのコンサートを行い、1999年にはチェンバロ奏者として国際的に名声を博していたラース・ウルリク・モーテンセンを芸術監督に迎えて躍進を続けているデンマークのバロック・アンサンブル「コンチェルト・コペンハーゲン」による、バッハの「ロ短調」の新しい録音です。
この曲を演奏する時、特にピリオド楽器の場合は、「合唱」のサイズをどうするかが問題になります。そんな問題提起を最初に行ったのが、ご存知ジョシュア・リフキンでした。彼の主張は「合唱は各パート一人ずつ」というもので、それを最初に発表したのが1981年、それを実践して彼自身が1982年にNONESUCHに行なった録音は、当時はセンセーションを巻き起こしました(先生も焦っていました)。しかし、それは未だに多くの問題をはらんだ主張とみなすのが、大多数の見解なのではないでしょうか。
しかし、今回のSACDの指揮者モーテンセンは、リフキンがとった編成によって今までとは異なる新しいバッハ像が現れていることは評価しているようで、伝統的な大編成の合唱では実現できないような各声部の独立性などははっきりしてくると認めています。その上で彼が採用した合唱の編成は、5人のコンチェルティーノ(ソリストも兼ねる)と5人のリピエーノという10人の陣容でした。これは、おそらく最近の「リフキン説」を取り入れている演奏家がとっている標準的な解決策なのではないでしょうか。例えば、ミンコフスキや、楽譜もリフキン校訂のものを使っているバットがそんな「10人編成」を採用していますね。
注意しなければいけないのは、弦楽器については「1パート一人」というわけではないこと。リフキンのバンドは2.2.1.1.1と、ヴァイオリンはそれぞれ2人ずつです。これはバットも同じ人数。ただ、ミンコフスキあたりはもっと増やしていて4.4.2.2.1という、かなりの「大人数」になっています。モーテンセンが採用した弦楽器の人数は、このミンコフスキと同じでした。やはり、このぐらいいないことには、ちょっとギスギスした響きになってしまいますね。
今回の演奏でとても惹かれるのは、ソリストもオーケストラもとてもしっかりと自分のパートに感情をこめて歌い上げている、ということです。指揮者のモーテンセン自身はオルガンを弾きながらの指揮ですから、それほどきっちりと指示しているわけではなく(時折、縦の線が微妙にずれたりすることがあります)、それぞれのプレーヤーが自主的に発散している音楽を最大限尊重しているという姿勢なのでしょう。オーボエなどは、歌いまわしもしゃれていますし、興が乗ると装飾を入れたりしますから、とても自由な雰囲気が現場を支配していたことが分かります。
そして、なんと言ってもティンパニとトランペットのテンションの高さには、驚かされます。それはまるで、ジャズバンドのようなノリの良さで、曲全体をグイグイ引っ張っていきます。
さらに、そんな「リズム隊」が入らないしっとりとした、例えば「Agnus Dei」などでは、先ほどの少し大きめの弦楽器の包容力のあるサウンドが生きてきます。ここのヴァイオリンのイントロはどんな演奏を聴いてもなにか間抜けな印象が付きまとうものですが、それぞれのプレーヤーが主体的に歌っているこのアンサンブルでは全くそんな気配はありません。ここにはバッハが込めたであろう哀しみの情感があふれんばかりに漂っています。
それは、ソリストたちにも言えること。アリアやデュエットでは、あくまでバッハの様式の中で最大限の情感を吐き出しています。さらに、それが合唱パートを歌う時になれば、その情感はそのまま増幅されて、とてつもないエネルギーとなって迫ってきます。この人たちが「Crucifixus」などと歌いだそうものなら、涙にくれない人などいません。
リフキンが30年前に企てたなんともストイックな試みは、彼が思ってもみなかったような形で結実していたようです。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-01-08 20:27 | 合唱 | Comments(0)