おやぢの部屋2
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SIBELIUS/Jedermann
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Pia Pajala(Sop), Tuomas Katajala(Ten)
Nicholas Söderlund(Bas)
Mikaela Palmu(Vn)
Leif Segerstam/
Cathedralis Aboensis Choir, Turku Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.573340




シベリウスは生涯にわたって多くの劇音楽を作っていますが、それらを聴く機会はあまりないのではないでしょうか。NAXOSから「シベリウス・イヤー」がらみで集中的にリリースされた、セーゲルスタムとトゥルク・フィルによる劇音楽のシリーズは、そういう意味でとても価値のあるものです。その中で、「イェーダーマン」の音楽を中心にしたアルバムを聴いてみました。
この戯曲のタイトルは、「イェーダーマン」ですっかり通っているのだと思っていたら、このアルバムでは「誰もかれも」という訳になっていました。これは、NMLでそのように表記されているので、それに準拠したものなのでしょう。ただ、この「イェーダーマン」(英語では「Everyman」)という中世に起源をもつ道徳寓話では、他の登場人物、例えば「善行」とか「信仰」と同じように、このタイトルはある種の概念を属性に持つ人物の「役名」なのですから、この日本語訳はちょっとヘンですね。やはり、今までの慣例通りに「イェーダーマン」と呼ぶことにしましょう。壁に貼りついたりはしませんが(それは「スパイダーマン」)。
「イェーダーマン」は、リヒャルト・シュトラウスとのチームで多くのオペラの台本を作ったフーゴー・フォン・ホフマンスタールが、ちょうど「ばらの騎士」を作ったころの1911年に書き上げた戯曲です。1916年にフィンランド国立劇場がこれを上演するために、シベリウスに音楽を委嘱します。その時には、このホフマンスタールの戯曲を元にフーゴ・ヤルカネンが書いた台本が用いられました。
「劇音楽」というのは、「オペラ」とは違いますから、セリフに音楽が付けられることはなくあくまで劇の進行を助けるための雰囲気づくりのようなものになってきます。そういう意味で、音楽だけを聴いていたのでは何のことかわからないようなところがあるのは当たり前なのでしょう。テレビドラマのように、音楽がでしゃばって肝心のドラマが台無しになってしまうというようなことは、本当の意味での作曲家であれば、起こりえないのです。
シベリウスがこの物語のクライマックスとも言うべきシーンに付けた音楽は、何ともとらえようのない「雰囲気」を醸し出すものでした。それまでは、「イェーダーマン」が催していた華やかな舞踏会で、その中で歌われる歌も披露されていたりしてにぎやかだったものが、トラック12の「Largo, sempre misterioso」に入ったとたんにそこに広がるのはまさに「ミステリオーソ」な世界。それを演出しているのが弱音器を付けた弦楽器。最初のころはほとんどソロかソリで、不思議な半音階の上下を繰り返しています。時折静かに入ってくるティンパニは、まるで歌舞伎などで幽霊が出てくるときのお約束の太鼓のロールさながらに、不気味さを募らせます。
このいつ果てるとも知れない音楽は延々13分も続きます。これがバックに流れるているのはおそらく「イェーダーマン」が「死神」に連れて行かれるあたりなのでしょう。ステージではどんなお芝居が演じられ、どんなことが語られているのか、ぜひ見てみたい気にさせられます。
この繊細な弦楽器の音といい、曲の始まりに「ツカミ」として鳴り響く金管楽器のアンサンブルといい、ちょっとCDばなれしたヌケの良い音であるのに驚かされます。これはかなりのクオリティの録音なのではないでしょうか。実際、24bit/96kHzのハイレゾ音源も、このシリーズのものはしっかりリリースされていました。それで、それを聴いて元の音を確かめたいと思ったのですが、この弦楽器の部分はアルバム全体(2500円)を買わないと聴けないようになっていました。冒頭の金管は短いので「切り売り」はされていましたが、たった11秒しかないものが300円ですし、そのあたりの連続した音楽が4つのトラックに分けられているので、やはり「たった」3分30秒だけを聴くためには、1200円も払わなければいけないなんて、ハイレゾの価格設定は絶対間違ってます。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
by jurassic_oyaji | 2016-02-06 20:50 | オーケストラ | Comments(0)