おやぢの部屋2
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MOZART/Don Giovanni
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Alan Titus(D.G.), Thomas Moser(D.O.)
Julia Varady(D.A.), Arleen Augée(D.E.)
Edith Mathis(Zerlina), Rolando Panerai(Leporello)
Rafael Kubelik/
Chor und Orchester des Bayerischen Rundfunks
SONY/88875194802




SONYから続々リリースされている過去のオペラ録音のアーカイヴ、その中にまだ聴いたことのなかったクーべリックの「ドン・ジョヴァンニ」がありました。オリジナルはEURODISC、BMGの時代には「RCA」などと表記されていたりしましたが、今ではきちんとそのあたりが明記されるようになっているのはうれしいですね。
1985年に録音されたもので、オーケストラは彼がこの数年前まで首席指揮者を務めていたバイエルン放送交響楽団です。確か、1980年にはこのコンビでモーツァルトの後期の交響曲も録音していましたね。デジタル録音の黎明期で、そのCDは物珍しさも手伝って、なかなか魅力的でした。当時のこのオーケストラの首席フルート奏者はアンドラーシュ・アドリアンとイレーナ・グラフェナウアーでしたが、この二人の音色や音楽性は全く異なっていて、どちらが吹いているのかはすぐわかりました。この交響曲集でも、曲によって奏者が違っていましたから、もっぱらグラフェナウアーが乗っている方の録音だけを聴いていましたね。
この「ドン・ジョヴァンニ」では、10日間以上の録音セッションが組まれていたようですが、カラヤンのように序盤に吹いていた人が後半では別の人になるようなことはなく、最初から最後までそのグラフェナウアーの音が聴こえてくるのが、このアルバムの最大の魅力です。このオペラには、例えば「魔笛」のようにフルート・ソロが活躍するような場面は全くないのですが、時折オーケストラから聴こえてくるさりげないフルートのフレーズが、とてものびやかで心を奪われてしまうのです。たとえば第2幕のフィナーレの直前のドンナ・アンナのアリアの中で一瞬聴こえてくるだけのフルートのソロでさえ、言いようのない感銘を与えられるものでした。
クーべリックにはコンサート指揮者というイメージがありますが、実際は多くのオペラハウスでの経験も持っている人でした。ただ、彼が指揮するオペラは、初めて聴いたような気がします。おそらく、モーツァルトではこれ以外の録音はないのではないでしょうか。ただ、この「ドン・ジョヴァンニ」を聴く限りでは、彼の資質はやはりコンサート向きなのではなかったのかな、という印象を強く受けてしまいます。それは、彼の持っている様式感がそうさせるのでしょうが、とても重みと深みを感じさせる彼の指揮からは、音楽そのものが持つ崇高さは十分に伝わってくるものの、「ドラマ」としてもエネルギーが決定的に欠けているのでは、と思えてしまうのです。要は、あまりにもくそまじめに音楽に向き合っているな、という感じ、今の時代にこれを聴くと、やはりダ・ポンテ/モーツァルトを味わうにはもっと切迫感や、洒脱さが欲しくなってしまいます。
録音もなんだかきれいすぎ、そんな中でかなり音場を操作してステージ感を演出しているような工夫が見られますが、それがあんまり成功しているとは思えないのは、なにか中途半端なところが見られるからでしょうか。墓地で石像が現れるシーンのサウンドの、なんとしょぼいこと。
そんな指揮者をフォローするかのようにふるまっていたのが、レポレッロのパネライです。彼はレシタッティーヴォ・セッコだけではなく、アリアでさえ存分に羽目を外して楽しんでいましたね。「カタログの歌」では、まるでロックのヴォーカルのようにフレーズの最後を下げたりしていましたから。
タイトル・ロールはアラン・タイタス、この人のラストネームは「Titus」ですから、モーツァルトとはゆかりがあるのでしょうが(笑)、なんせもっぱらバーンスタインの「ミサ」の初演を担った人としての記憶が強いものですから、いくら将来はバイロイトの常連になるとは言ってもこの時点での貫録のなさにはほほえましいものがあります。というか、そのタイタスをフィーチャーしたオリジナルのジャケットが不気味すぎ。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-03-31 23:15 | オペラ | Comments(0)