おやぢの部屋2
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SCHUBERT/Symphony No.9
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Christoph von Dohnányi/
Philharmonia Orchestra
SIGNUM/SIGCD461




合唱関係でおなじみのこのレーベルですが、ここはロンドンのフィルハーモニア管弦楽団のいわば「自主レーベル」的な役割も果たしています。マゼールの晩年にマーラーの交響曲全集を録音したのも、このレーベルでした。
今回は、このオーケストラの首席指揮者を1997年から2008年まで務め、その後は終身名誉指揮者として関係を保っている長老、クリストフ・フォン・ドホナーニとの共演で、2015年10月に行われたコンサートのライブ録音です。
曲目はシューベルトの「交響曲第9番」、ジャケットにはそれしか書かれてはいませんが、もちろんこの作曲家の最後のハ長調の交響曲のことです。そうなんですよ。おそらく、いまの日本でオーケストラがこの曲を演奏する時には、まず「交響曲第8番」と言うであろう、あの交響曲のことです。それが、いまだにこの曲は「第9番」でないと納得できない人が、特にCDなどを購入するクラシックファンの中には根強く残っているものですから、やむを得ずこんな書き方をされてしまうのですね。なんとも不憫なことです。
というか、このCDのライナーノーツを読んでみると、その辺のあまりの無頓着さにがっかりしてしまいます。このライターさんは
フィナーレは、猛スピードのタランテラで、ヴァイオリンはまるでベートーヴェンの交響曲第9番の最後の楽章「歓喜の歌」のように、延々と三連符を演奏し続ける。おそらくこれは、シューベルトが意識していたかどうかはわからないが、彼自身の「第9交響曲」を作っている頃に、彼にとっての音楽的な英雄であったベートーヴェンが亡くなったことに対する追悼の意味があったのかもしれない。

などと書いているのですからね。お分かりでしょうが、この文章には事実誤認が2つもあります。まず、この曲に「第9番」という番号(それも今では「第8番」に変わっています)を付けたのは後世の人で、シューベルト自身ではありませんから、「彼自身の『第9交響曲』」というのはあり得ないということ。さらに、この曲が作られたのは、かつてはシューベルトの最晩年、1828年ごろだと考えられていたものが、最近の研究ではもっと前、1825年ごろだとされているのですから、シューベルトがこの「第4楽章」を作っていた時にはまだベートーヴェンはご存命だったんですよ(亡くなったのは1827年)。したがって、この曲に追悼の意味を込めることもあり得ません。このようなデタラメなライナーを平気で書くなんて、まるで日本の音楽評論家みたいですね。
現在86歳と、いわば「巨匠」と呼ばれてもおかしくない年齢に達しているにもかかわらず、ドホナーニという人にはそれほどのカリスマ性を感じることが出来ないのはなぜでしょう。知名度も低いし(それなーに?)。この曲は最近、実際に演奏する機会があったので、この最新録音で「今」のこの曲の一つの提案を感じてみたかったのですが、特にこれといったインパクトはありませんでした。
第1楽章は、冒頭のホルン・ソロで全体の印象が決まってしまうという恐ろしいものですが、ここでのホルンは変に小細工が施されていて何か軟弱な感じがします。楽章全体は割と締まったテンポでサクサクと進んではいくのですが、やや素っ気ないところもあって、シューベルトらしい抒情性はあまり味わえません。
第2楽章は、これもオーボエ・ソロ頼み。幸い、このオーボエはとても暖かい音色でたっぷり歌ってくれていますし、途中で加わるクラリネットともとてもよく溶け合って、至福の時が味わえます。ただ、フレーズのつなぎの部分でちょっと音楽が停滞して流れが止まってしまうのが残念です。
第3楽章は中間のトリオがちょっと重苦しいリズムに支配されているのが、気になります。
そして、フィナーレでは、さっきの「タランテラ」というイメージとは程遠いもたつきが、ただでさえ長すぎるこの楽章をより退屈なものにしています。この楽章、全部で1154小節もあるって、知ってました?

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-28 21:26 | オーケストラ | Comments(0)