おやぢの部屋2
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PASQUINI/La Sete di Christo
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Francesca Aspromonte(Sop)
Francisco Fernández-Rueda(Ten)
Luca Cervoni(Ten)
Mauro Borgioni(Bar)
Alessandro Quarta/Concerto Romano
CHRISTOPHORUS/CHR 77398




キリストの受難をモティーフにした音楽作品はたくさんありますが(「トゥーランドット」とか・・・それは「女難」)、最も有名なものはバッハの「マタイ受難曲」のように聖書の福音書で語られた受難のシーンをそのままテキストにしたものでしょう。
それとは別に、新たに台本作家が作ったテキストによって受難を描いたというものも、別の流れとして重要な作品がたくさん残されています。その代表的なものはオペラの台本作家として有名なピエトロ・メタスタージオが1730年に書いた「La Passione di Nostro Signore Gesu Cristo(我らが主イエスと・キリストの受難)」をテキストにした多くの作品群です。この台本は元々はアントニオ・カルダーラのために書かれたものですが、その後も多くの作曲家によって18世紀のみならず、19世紀になっても使われるという大ヒット作となりました。
今回の「La Sete di Christo(キリストの渇き)」というタイトルの受難オラトリオは、そのメタスタージオの台本よりも前、1689年に、ヘンデルのオペラ「セルセ」の台本の元になったものを作ったことで知られているニコロ・ミナートによって作られた台本に、ローマで活躍したイタリア・バロックの作曲家、ベルナルド・パスクィーニが作曲したものです。
ミナートの台本では登場人物は、ヴィルジネ(聖母マリア/ソプラノ)、ジョヴァンニ(聖ヨハネ/テノール)、ジュゼッペ(アリマテアのヨゼフ/テノール)、ニコデモ(バリトン)の4人のソリストですが、ニコデモ役の人はイエスとの「二役」を演じます。シチュエーションは、さっきのメタスタージオの場合の少し前、まさにキリストが亡くなる前後のシーンです。言ってみれば、有名な「スターバト・マーテル」のシーンの少し前になるのでしょう。
楽器編成は、ヴァイオリン2本とヴィオラに通奏低音というシンプルなものです。ただ、ここで演奏しているアレッサンドロ・クァルタ指揮のコンチェルト・ロナーノは、通奏低音に多くの楽器を使って、多彩な音色を追求しています。
曲は2つの部分に分かれていて、それぞれの最初には楽器だけでシンフォニアが演奏されます。第1部のシンフォニアは、本当に涙を誘うようなヴァイオリンのフレーズで始まり、それにカノン風に他の弦楽器が追いかけるというもの、これから起こる悲しい出来事を暗示しつつ、それぞれがそれから目をそらすことなく、一緒に悲しさに耐えていこうよ、といった感じでしょうか。
話の口火を切るのは聖母マリア、彼女たちはまさに処刑されようとしている十字架の下にいて、悲しみにくれています。そんな彼女の歌は、しかし、それを歌うソプラノのアスプロモンテの堂々たる歌い方によって、ある種の意志の強さが感じられるものでした。他の3人もそれに合いの手を入れます。
やがて、それぞれの出演者のソロ・アリアが始まると、各々の性格が音楽によって見事に際立つように作られていることが分かります。ヨハネとヨゼフは同じテノールですが、その声の質からして全然違います。ヨハネは少しやんちゃ、それに対してヨゼフはあくまでナイーヴ、ここでのチェルヴォーニはまさにうってつけのリリカルな歌を聴かせてくれます。ボルジォーニが歌うニコデモは、ちょっとにぎやかなキャラ、アリアもメリスマを多用した派手な音楽です。
曲のクライマックスは、なんと言っても第2部の最初、やはり悲しげなシンフォニアの後に無伴奏で歌われるイエスの「Sitio!(喉が渇いた!)」というレシタティーヴォでしょう。ここでのボルジォーネの一声には、皆が凍りつきます。そして、最後、聖母マリアの堂々たるダ・カーポ・アリア、「Piangi, Maria(マリアよ、泣きなさい)」の後奏で、最後のアコードが奏される直前の空白の時間の、なんと長かったことでしょう。そのパウゼは、この1時間を超える悲しみの物語を締めくくるための必然だと、クァルタは思ったのでしょうね。

CD Artwork © note 1 music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-05-07 21:23 | 現代音楽 | Comments(0)