おやぢの部屋2
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RAVEL/Orchestra Works・3
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Leonard Slatkin/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.573124




2011年から、準メルクルの後任としてリヨン国立管弦楽団の音楽監督に就任したレナード・スラトキンは、直ちにNAXOSへのラヴェルの作品集の録音に着手したんだよん。今回の3集目となる管弦楽集は、他の作曲家の作品を編曲したものだけを集めるという、大胆なアルバムです。
ラヴェルが編曲した作品として最も有名なのは、もちろんムソルグスキーの「展覧会の絵」です。とは言っても、この曲を編曲した人はなにもラヴェルだけではなかったわけで、以前スラトキンはこんな全ての曲が「ラヴェル以外」の作曲家によって編曲されたものを集めたアルバムを同じNAXOSで作っていて、そのマニアックさを披露してくれていました。ですから、ラヴェル版を演奏する時でも、いくら1975年に録音されたVOX盤では楽譜通りの「ラヴェル版」を演奏していたとしても、油断はできません。現に、「サミュエル・ゴールデンベルク」と「リモージュ」の間に、ラヴェルはカットしたはずの「プロムナード」が入っていますからね。そしてそのトラックには「スラトキンによるオーケストレーション」というクレジットが加えられています。
さらに、曲を聴いてみると、なんだか普通の「ラヴェル版」とはちょっと違っているように聴こえるところがゾロゾロ出てくるではありませんか。まずは、「小人」で、これこそがラヴェルの編曲の極めつけ、と言えるほど印象的な、元のピアノ版にはなかった弦楽器のグリッサンド(スコアの「9番」あたり)がきれいさっぱりなくなっています。この時点で、もうスラトキンはラヴェル版をそのまま演奏する気はないのだな、と気づくことになるのですが、それ以後の「改変」はまさに衝撃的なものでした。まず、普通はピアニシモで始まり、だんだんクレッシェンドをかけていく「ビドウォ」が、そんなラヴェルのダイナミックスを無視して、いきなりフォルテシモで始まります(①)。さらに、一番ショッキングなのは、「卵の殻をつけた雛の踊り」のエンディング。そこには、リピートする場所を間違えたような「余計な」2小節が入っています(②)。となると、予想通り「サミュエル・ゴールデンベルク」の最後は「ド・レ・ド・シ」ではなく、「ド・レ・シ・シ」になっています(③)。
何のことはない、これは、こちらを見ていただければわかりますが、ラヴェルの編曲で「原典版によるピアノ譜」とは異なっている部分を、その形に変えただけのことなのです。確かにラヴェルは、当時はそれしかなかったリムスキー・コルサコフの改訂版を元にオーケストレーションを行っていますから、その部分を後の原典版の形に変える(①と③)分にはそれほど問題はありませんが、②は改訂版にもあったものをあえてカットしているのですから、こうなるともはや「ラヴェル版」と呼ぶのもはばかれます。確かにジャケットでは作曲年代として「1874/1922/2007」という3つの年代が入っていますから、最後の「2007」は、「スラトキン版」が作られた年、と解釈すべきでしょう。ですからここは、単にプロムナードだけがスラトキンの仕事だという表記だけではなく、この組曲全体が「スラトキン版」なのだ、というクレジットが必要だったはずです。
他の曲が、それぞれディアギレフの委嘱によるシャブリエの「華やかなメヌエット」、そのディアギレフと「破局」したニジンスキーの委嘱によるシューマンの「謝肉祭」、そして、出版社ジョベールの委嘱によるドビュッシーの「サラバンド」と「舞曲」と、いずれもピアノ・ソロだったものにオーケストレーションが施されたとても珍しいものが並んでいる中で、「展覧会」だけがラヴェルのオリジナルのオーケストレーションではないものを収録したというのは、何とも中途半端な印象がぬぐえません。というか、せっかくこんな珍しい「スラトキン版」が聴けるのですから、それをもっと堂々と表記すべきだったのでは。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
by jurassic_oyaji | 2016-05-10 23:22 | オーケストラ | Comments(0)