おやぢの部屋2
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黄昏の調べ/現代音楽の行方
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大久保賢著
春秋社刊
ISBN978-4-393-93204-9




「新しきことは良(善)きことなり」というのは近代以降の西洋を濃厚に彩った気分だが、それが猖獗を極めたのが20世紀という時代だった。あらゆる分野で次々と新しいものが見出され、生み出されていく(と同時に、昨日のものが弊履のごとく捨て去られていく)中で、芸術音楽もこの流れに掉さして、表現の手段や領域を急速に拡げていったのである。

最初のページから、こんな、まるで明治時代の文豪が使うような言葉がオンパレードの堅苦しい文章が登場しますから、ちょっとビビッてしまいました。正直「弊履」ぐらいは読み方も意味も知ってましたが、「猖獗」なんて言葉は初めて目にしました。「しょうけつ」って読むんですね。チューハイじゃないですよ(それは「ひょうけつ」)。そして「流れに掉さして」というのは、確か漱石あたりの小説にあったかな、とは思いましたが、ここで使われているのとは正反対の意味だとずっと思っていましたからね。それをこの文脈で使うのは変だなあ、と思って調べてみたら、やっと本来の意味が分かりました。なんと恥ずかしい。そんな「古語」にも親しい方の語る「現代音楽」論だったら、傾聴に値するはずです。
ところが、著者のプロフィールを見たらお生まれになったのは1966年ですって。そんなにお若くてこんなカビの生えたような文章を書くとなると、なんだかそれは別の意味で油断できないような気になってくるから不思議です。よくいますよね、こういうの。ストレートに意見を述べるのが嫌で、わざと自分を飾ってみせる、というような人が。いや、別にこの著者がそうだなんて言ってませんけど。
それだけではなく、この人の文章は、正直とても読みづらいものでした。カッコがやたら多くて、そのたびに読むリズムが断ち切られてしまうんですよね。言いたいことがたくさんあるからこんな風になってしまったのでしょうが、はっきり言ってこれだと本当に言いたいことはなんなのかが、完全にぼやけてしまいますね。さらに、「註」のなんと多いこと。本文が200ページちょっとなのに、註だけで40ページもあるんですからね。それだけ長くなっているのは、単なる参照文献の提示だけでなく、時には本文以上の情報量を持つコメントが添えられているため、こうなると、ひっきりなしにページを行ったり来たりしなければいけませんから、煩わしいったらありません。
そんな面倒くさい体裁を取っている割には、中身はなんともシンプル。なんせ、「現代音楽」の定義が、「20世紀以降の前衛音楽、つまり非調性音楽」ですからね。これを見ると目からうろこが落ちる人はたくさんいるに違いありません。なんだ、そんなに簡単なものだったのか、とね。でも、これはあくまで著者の中だけで通用する「定義」であって、到底すべての人に受け入れられるはずもありません。だって、誰でもわかることですが、「非調性音楽」は確かに「現代音楽」ですが、「現代音楽」すべてが「非調性音楽」ではありませんからね。そこから論を進めている限り、読者を完全に納得させられるような結末を導き出すことなどは不可能です。
案の定、著者の論点は、あちこちで破綻を見せています。ペルトやグレツキのあたりの記述になると、これまでさっきの「定義」を元に読み進んできた真面目な読者は、軽い混乱状態に陥ってしまうことでしょう。
著者の「現代音楽」についての歴史的な総括は、それなりの体験と見識に基づいたとても価値のあるもので、確かにこの音楽に対する広範な知識を得るのには役に立つ資料です。ところが、最初に変な「縛り」(文中で頻出する言葉。普通に「制約」とでも言えばいいものを、あえてこんなヤクザな言い方を、それこそ「猖獗」のような言葉と同時に使うあたりが、笑えます)を設けてしまったものですから、最後の章がなんとも精彩を欠いてしまうことになりました。残念です。

Book Artwork © Shunjusha Publishing Company
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by jurassic_oyaji | 2016-05-31 23:38 | ポップス | Comments(7)
Commented by トシ at 2016-06-01 14:26 x
「黄昏の調べ」の最後の方の章「第8章:芸術の些か耐えられない重さ/現代音楽の行方」に書かれていた著者が提案する『これからの現代音楽の作曲家の取るべき作曲に対する考え方や作品創作の方向性』については、とても衝撃的な内容でした。この提案について、おやぢさんは、どのように評価されますか?また、どのように批評されますか?
Commented by jurassic_oyaji at 2016-06-01 19:18
トシさん、コメントありがとうございます。
どんな提案がされているのか期待していましたが、完全に拍子抜けでしたね。
本文にも書きましたが、今の「現代音楽」は「調性」に向かうしか道がないはずなのに、著者は「現代音楽は非調性音楽」と定義してしまったので、身動きが取れなくなってしまっているな、という印象です。
Commented by トシ at 2016-06-01 19:34 x
この著者が、「現代音楽は伝統芸能だ」と断定しているのも、違和感がありました。それと、作曲家は、創造活動しようなどとは考えずに、ひたすら「現代音楽」という伝統芸能の完成を目指す熟練した職人を目指すべきだと述べているところも。多くの聴衆に気に入られる作品かどうかが音楽作品の価値を決める、と言い切っているところも。芸術作品を評価する視野がとても狭いと思いました。
Commented by jurassic_oyaji at 2016-06-01 21:30
おっしゃる通りですね。
Commented by トシ at 2016-06-06 10:10 x
著者の論述のおかしなところは、現代音楽を定義付けるのに「新しい」か、「旧来のものか」という二者択一で考えていて、新しい=非調性、旧来=調性、というとても単純な二分法でもって分類していることです。しかし、これは全く単純すぎる分け方で、おやぢさんが言われるように、素人でもおかしいと直ぐに違和感を感じるやり方ですね。もう一つ、芸術作品の見方が狭いと思うのは、その作品の技術面しか、どうやら見ていない様に感じられることです。この技術面で、新しい=非調性、旧来=調性という全く単純な分け方をしていて、新しい=非調性=現代音楽、と単純に括っています。この単純な分類を前提にして、「現代音楽」として語っているので、おやぢさんの言うように結論に袋小路に入ってしまって、伝統芸能とか、職人とか、多くの人に、とかの殆ど直接的に現代音楽そのものの本質には触れないことに、話が逸れてしまったんだと思います。つまり、全く結論になってないと思います。
Commented by jurassic_oyaji at 2016-06-06 19:47
なんか、文体もそうですが、論旨の立て方そのものに自分が酔っているという感じで、まわりが見えなくなっていますね。
一番ひどいのは、自分が気に入らないからと言って、勝手に新しい呼び名を作ったりすることです。すでに広まっている「ミニマル・ミュージック」という言葉を「反復音楽」と呼ぶようにします、なんていうのは、どうしようもない愚行ですね。空気が読めない、と言うか。
Commented by トシ at 2016-06-07 08:30 x
ミニマルを反復にしているのも、ただ見たままをそのまま写すような思考法に陥ってしまっているからです。音楽、しいては芸術について考える場合も、ただ見たままそのままを論じる形になっています。芸術作品への評価の幅の狭さは感じられるのは、ここに理由があります。一番、重要な見たまま、聴いたままそのままではなく、想像力を駆使して考えて解釈するという、芸術を論じるに当たり一番、大切なことが見えていないようです。だから結論もつまらないものになってしまっている、と感じました。