おやぢの部屋2
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スカイダイビングって・・・
 毎朝の食事に、果物は欠かせません。私は、季節に合わせていろいろなものを食べているのですが、最近まではそれは「甘夏」でした。なんたって、ご先祖が愛媛県の人ですから、みかん類は欠かせませんが、特に夏みかんは大好きです。そうなんですよ。「甘夏」というのは、今ではそれしか売っていないので仕方なく食べていますが、それは決して本命ではなく、できれば「甘くない」夏みかんを食べたいと思っているんですよね。
 私の小さいころには、夏場には実家からその「夏みかん」が箱で届きました。それはもう酸っぱいみかんでしたが、それがおいしくて、大きな玉を丸ごと1個は食べていましたね。ところが、最近ではそういう本物の夏みかんは、もうなくなってしまいました。最後にそういうのを食べたのはいつだったかも思い出せないほど、それは昔のことだったのでしょう。仕方なく、「こんなの、夏みかんじゃない」と思いながらも、もはや「甘夏」しかなくなったのではしかたないと、この季節には毎日のように食べているのです。
 でも、「夏みかん」という割には、この果物が出回るのは夏が始まるずっと前、本当の「夏」になってしまうともうスーパーの店頭からはなくなってしまいます。実は、私がほぼ毎日行っている近所のスーパーでは、このところ夏みかんの棚がどんどん縮小されてしまっていました。サクランボが出始めた時などは、それに追いやられて全く姿を見せなくなってしまったこともありました。でも、何とか細々とでも置いてあったので安心していたのですが、今日行ってみたら、遂にどこにもその姿を見ることができない状態になってしまっていましたよ。今年の夏みかんは、とうとう終わってしまったのです。おとといあたりはまだあったので、あれを買っておけばよかったなあ、と後悔しているところですが、いずれは別れがくるのですから、これは仕方がありません。
 親子の別れを描いた東野圭吾の小説を映画化した「天空の蜂」を、やっとWOWOWで見ることが出来ました。いや、そうじゃなかったですね。親子は別れることはなく、ちゃんと再会できるのでした。でも、小説ではそれほど重要なシーンではなかった、その「別れ→再会」のエピソードが、この映画ではまるでクライマックスのように盛り上げた作り方になっていたので、もしかしたら本当のテーマはこれだったのかな、と思ってしまっただけのことでして。
 そんな風に、あまりに原作とかけ離れた描き方が続出しているので、改めて原作を引っ張り出して読み返してみたりしていましたよ。特に、登場人物の設定が、原作ではきちんと理解できたのに、映画では全く理解不能だったのは、私の鍛錬が足らないせいなのでしょうか。と思って、何度も録画を見直してみても、やはりこれだけでは理解できません。おそらく、脚本を書いた人はこの映画を見る人は全員原作を読んでいることを前提にしているのではないかと思えるほど、それは自分勝手な脚本のように思えます。
 ですから、これはもうテーマとかプロットとかを全く無視して、ひたすらそのVFXのすごさを体験するための映画なのだと割り切って見ることにしました。その限りにおいては、これはとてもよくできた映画ですからね。最初の巨大ヘリの登場シーンなどは圧倒されました。それから、リチャード・プリンの音楽もちょっと日本人には書けないような素晴らしいスコアでしたね。まるで「ゼロ・グラビティ」でも見ているような気分にさせられました。ですから、エンディングで日本人が作ったとことんお粗末な曲とお粗末な演奏が聴こえてきたときには、心底がっかりしましたね。プロットがいい加減な分、音楽だけでもちゃんと最後まで面倒を見てよ、というような気分です。
 原作が書かれたのは1995年ですが、私がそれを文庫本で読んだのは原発事故が起こってからでした。その時に感じたこの小説に対するすごさを、この映画では決して味わうことが出来ませんでした。映画的には最後のエピソードは良く出来てはいますが、それは間違いなく原作の力を削ぐものでしかありませんでした。
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by jurassic_oyaji | 2016-06-22 21:20 | 映画 | Comments(0)