おやぢの部屋2
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BACH/Markus-Passion
BACH/Markus-Passion_c0039487_23553226.jpg

Ulrike Eidinger(Sop), Ulrich Weller(CT)
Samir Bouadjadja(Ten), Lars Eidinger(Nar)
Peter Uehling/
Ensemble Wunderkammer
COVIELLO/COV 91605




バッハの「マルコ受難曲」の新しい録音が出ました。ある意味、この作品は単なる「素材」のようなものですから、それをどのように扱ってきちんとした曲にまとめるかというのは演奏家の裁量に任されているようなところがあります。ですから、新しい録音であれば、まずそのあたりの、この作品を演奏するにあたってのコンセプトが問われることになるのです。
今回の演奏者は「アンサンブル・ヴンダーカンマー」という名前の団体です。全く聞いたことのない名前ですがそれもそのはず、結成されたのは2014年という、つい最近のことなのだそうです。ただ、その時の形はこのような受難曲を演奏できるほどの規模の大きな(合唱も、このアンサンブルに含まれています)ものではなく、たった4人で集まって作られたごく小さなアンサンブルでした。その4人のピリオド楽器の演奏家たちの名前の中で、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が「サラ・パール」という名前だったのに、ちょっと反応してしまいました。同じような名前のガンバ奏者がいたはずなのに、と記憶をたどってみると、それは「ヒレ・パール」というかなり有名な人でした。調べてみると、「サラ」はこの「ヒレ」の娘さんなのだそうです。以前やはりヒレが娘さんと共演していたアルバムでは、「マルテ」という子だったようですから、ヒレの娘さんでガンバ奏者になった人は2人いるということですね。「サラ」と「マルテ」は姉妹なのでしょう。
その他のメンバーは、チェンバロのミラ・ランゲ、チェロのマルティン・ゼーマン、そして指揮者でオルガニストのペーター・ユーリングです。このアンサンブルとして17世紀や18世紀の音楽、さらには現代の音楽まで幅広く演奏するとともに、今回のような編成にまで拡大してこのような曲に挑むこともあります。ここでは、ユーリングは中華料理(それは「ユーリンチ」)ではなく指揮に専念、残りの3人で通奏低音をきっちり固めたうえで、弦楽器は各パートそれぞれ1人という、最小限の編成になっています。もちろん、合唱が必要な時には、そのためのメンバーも集まってきます。ただ、彼らはプロではなく、アマチュアで日常的に活動を行っている人たちなのだそうです。
この「マルコ」の演奏では、おそらくディートハルト・ヘルマンによる修復稿を使って演奏されているのでしょう。エヴァンゲリストによる聖書朗読の部分は、レシタティーヴォで歌われるのではなく、ナレーターによって「朗読」されています。しかし、その部分で彼らが行っていることは、かなり衝撃的でした。ナレーターのバックでは、低音楽器たちが即興的に「音」を加えていたのですよ。最初のうちは単音のドローンのようなものだったのが、次第にその自由度はエスカレートしてきて、それは殆ど「20世紀音楽」的な刺激的な「音響」に変わっていきます。
確かに、これはこれで単に朗読だけを聴いているのよりははるかにイマジネーションが掻き立てられるものには仕上がっています。ただ、そこからは当然のことながらバッハの音楽は全く感じられません。事実、このような「朗読」のあとにコラールが歌われると、その二つの世界の間にはとても越えられない隔たりが存在していることがまざまざと感じられてしまいます。
しかも、そのコラールにしても、いかにもアマチュアの集まりだと思えるような、あまりに主体性のない歌い方には、当惑させられます。もし、これはそんな朗読のバックに合わせた恣意的な表現だとしたら、それは本末転倒というべきでしょう。
ソリストたちも、不思議な挙動に終始しています。ソプラノはかなりロマンティックな演奏で臨んでいるのに、カウンター・テナーの人は、まさに「前衛的」というよりははっきり言ってピッチも発声もかなり怪しげな歌い方だったりしますからね。
着眼点は面白いのですが、それが全体に浸透しなかったのが敗因でしょう。

CD Artwork © Coviello Classics
by jurassic_oyaji | 2016-08-02 23:58 | 現代音楽 | Comments(0)