おやぢの部屋2
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AS DREAMS
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Grete Pedersen/
Oslo Symfonietta
The Norwegian Soloists' Choir
BIS/SACD-2139(hybrid SACD)




ペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団からの毎年の贈り物が届きました。今回のテーマは「夢」でしょうか。タイトルは、シェークスピアからの引用だそうで、元は「We are such stuff as dreams are made on, and our little life is rounded with a sleep.(私たちは夢と同じもので作られている。そして私たちの短い人生は眠りで包まれている)」という、「テンペスト」からのセリフです(そんなものを翻訳する時にも「おやぢ」の性が)。まあ、なんとも含蓄のある言葉ですね。一つ言えるのは、ここで「夢」と言われているものは、「夢がかなう」という風に使われるかなりハッピーなものとは違ったものなのではないか、ということです。例えば「悪夢」にも通じるようなネガティヴな意味の方が強いのではないか、というような感触ですね。
ということで、今回のアルバムには、決して口当たりが良いとは言えないような曲が並ぶことになりました。いわゆる「前衛的」と呼ばれる、普通の西洋音楽のイディオムには全くとらわれない作品のオンパレードです。そんなこととは知らずに、まずはペア・ネアゴーという、スウェーデンの本来は「前衛的」なスタイルを持っているはずの作曲家の「Dream Songs」という、いともまったりとした曲で、一旦は和んでしまうはずです。これは、まさに北欧民謡そのもののノスタルジックなチューンを、美しいハーモニーに乗せて歌うという、とてもハッピーな口当たりですが、そこに打楽器が加わって何とも不安定なポリリズムを繰り出した後には、さっきの美しいメロディにはとても気持ち悪い、ほとんど「悪夢」ともいえるようなハーモニーが付けられるという、その後のこのアルバムの進行を予告するような役割を持っていました。
案の定、続くヘルムート・ラッヘンマン(なんだか懐かしい名前)が、世界中がそんな「前衛音楽」の波にもまれていた頃の1968年に作った「Consolation II」は、まさに「そんな」音楽でした。「声」によるあらゆる表現方法を駆使した、当時としては合唱の新しい可能性に向けての先鞭を切っていたという思いで作られたものなのでしょうが、今となってはなんとも空回りしている面しか感じられません。しかし、この素晴らしい合唱団が、とてもしっかりとその「当時の思い」を再現しているのには、感服させられます。
次の、アルフレード・ヤンソンというノルウェーの作曲家は初めてその作品を聴きましたが、ラッヘンマンの曲と同じころに作られた、ニーチェの「ツァラトゥストラ」をテキストにした「Nocturne」では、そのような「前衛的」な手法は、すでにある種の効果を演出する場合のみに有効に活用するという、今の時代にもそのまま通用するような作風が見られます。
次に、フィンランドの作曲家、サーリアホのとても短い「Überzeugung(確信)」という、3人の女声とヴァイオリン、チェロにサンバル・アンティークという薄い編成の、不思議な雰囲気が漂う静かな曲が挟まります。その後には、冒頭のノアゴーが、ここでは本領を発揮して、シューベルトの曲の断片を取り入れたりしつつ、ある意味中途半端な「前衛」を展開しています。
そして、クセナキスの「Nuits(夜)」です。これまで聴いてきた、チマチマとした技法を超越したところにあるのがこの作品、まさか、この曲をこの合唱団で聴けるとは思っていなかったので、感激もひとしおです。彼らは、普段は見られないような「汚れた」歌い方まで駆使して、ひたむきにこの作品に奉仕しているように思えます。これは名演です。
最後に、サーリアホの作品をもう1曲聴くことが出来ます。「Nuits, adieux」という、まるでクセナキスの作品を挑発するかのようなタイトルですが、「前衛的」な手法も結局は美しいハーモニーに集約せざるを得なかったところで、「現代」における「現代音楽」の宿命を感じざるを得ません。「夢」が終わるとともに、「現代音楽」も死に絶えるのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-10-04 22:58 | 合唱 | Comments(0)