おやぢの部屋2
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NIIGAKI/Symphony -Litany-
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新垣隆/
東京室内管弦楽団
DECCA/UCCD1443




2年以上も前に勃発したあの「佐村河内事件」のようなことは、クラシック音楽の歴史の中ではそれほど珍しいことではありません。クライスラーやベルリオーズが、日頃自分たちの作品に否定的な評論家たちを欺くために、別人の名前で作品を発表し、それがその評論家たちに絶賛されるさまを見てひそかにほくそ笑んでいた、というのは、よく知られたエピソードです。
あの「交響曲」の場合は、佐村河内氏は完全に社会から抹殺されてしまいましたが、実際にそれを作った作曲家は、「ある意味被害者」的な扱いを受けて何の咎も受けなかったばかりではなく、それがきっかけとなって瞬く間に「人気作曲家」の地位を獲得してしまいました。その背景には、件の「交響曲」が、作品としては感動を呼びうるすぐれたものだった、という受け取られ方があったからかもしれません。そのような評価は、偽作の事実を見抜けず、その「交響曲」をべた褒めして赤っ恥をかいた「評論家」たちの格好の言い訳になったのです(そんなんでいいわけ?)。
その作曲家が、このたび他人から強要されてではなく、自分の意志で新たな交響曲を作ったのだそうです。そのタイトルは「連祷」。そこに、かつてその作曲家が作らされた「交響曲」の当初のタイトル「現代典礼」との関連性を感じるのは、単なる錯覚でしょうか。
作曲家が自ら綴ったものによると、この新しい交響曲「連祷」は、「前作」同様、広島(さらに長崎)の原爆がモティーフとなっている上に、同じ原子力による惨禍である原発への思いも込められているのだそうです。従って、その作品はまず広島で初演され、その後東京で再演された後、福島でも演奏されました。その、福島でのコンサートのライブ録音が、このCDです。
この新しい交響曲を作るように強く勧めたのが、広島のさるアマチュア・オーケストラなのだそうです。このオーケストラは以前の「交響曲」も演奏していて、贋作に関しても好意的な見解を持っていたのでしょう。「今度こそ、あなたの手でぜひ同じような『感動』を与えてください」とでも言ったのでしょうか。
しかし、作曲家は、以前その著書の中で、「私が行ったことのいちばんの罪は、人々を陶酔させ、感覚を麻痺させるいわば音楽のもつ魔力をうかうかと使ってしまったことです」とまで言っているのですよ。そこまで言われても、そのような作られ方をされた「交響曲」を崇めていた人たちが実際にいたことに驚いてしまいますが、そんな言葉を真に受けてまた「罪」を重ねてしまった作曲家の方が、その何倍も悪質であることは明白でしょう。
いや、もしかしたら、作曲家はその「罪」に真摯に向き合い、まっさらな気持ちで新たな創作に邁進していたのかもしれません。それがまっとうな人間の行いですよね。ですから、まずはきちんとその「成果」に対峙するのが、やはりリスナーとしての道でしょう。
しかし、そんな思いとは裏腹に、作曲家は全然懲りていなかったようですね。いや、逆にその「魔力」こそが自分の最大の武器だと悟ったのでしょうか、そこには聴いていて恥ずかしくなるような「陶酔感」がてんこ盛りだったのですよ。実は、前の「交響曲」は全く聴いたことはないのですが、聴いた人の話ではどうやら過去の作曲家のいいとこ取りみたいな感じのようでした。「連祷」でも、聴こえてくるのはシューマンだったりブラームスだったり、ちょっとひねったところではシベリウスだったり、「元ネタ」がはっきり分かるものばかり、さらに、先ほどの作曲家の言葉の中にあったのが、「大木正夫の交響曲第5番『HIROSHIMA』」へのオマージュですが、それは「オマージュ」などという可愛げのあるものではなく、ほとんど「借用」に等しいものなのではないでしょうか。
やはり、作曲家として一度味わってしまった快感は、なかなか断ち切ることはできないものなのでしょうか。悲しいことです。

CD Artwork © Universal Music LLC
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by jurassic_oyaji | 2016-12-13 23:01 | 現代音楽 | Comments(0)