おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
スカラ座の思い出/コンサートマスターから見たマエストロの肖像
c0039487_09481306.jpg






エンリーコ・ミネッティ著
石橋典子訳
スタイルノート刊
ISBN978-4-7998-0140-6



1918年にミラノのスカラ座のオーケストラに入団、1933年から1965年までの間の32年間はコンサートマスターを務めた著者が、その間に指揮台に立った指揮者のことを語った回顧録です。その間には2つの世界大戦も体験するという、まさに「歴史」の中で演奏活動を続けてきた著者の言葉には、陳腐な言い方ですが「重み」があります。
その間のスカラ座の音楽監督には、トゥリオ・セラフィンから始まってアルトゥーロ・トスカニーニ、ヴィクトル・デ・サバタ、カルロ・マリア・ジュリーニ、グィド・カンテッリ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニまでの巨匠(マエストロ)の名前が並びます。その他にも、客演指揮者としてドミトリー・ミトロプーロスとヘルマン・シェルヘンについても語られています。こんな人まで、スカラ座には客演していたのですね。
ミトロプールスについては、完璧な記憶力を持っていて、例えばベルクの「ヴォッツェック」のような難解な楽譜でもしっかりオーケストラにその意味が分かるように指揮をする姿が語られます。
それとは対照的に、シェルヘンとの思い出としては、スカラ座ではなく、彼のスイスの自宅に作られたスタジオでの、いとも家族的なレコーディングの様子が語られています。シェルヘンの録音と言えば、ウィーンでのWESTMINSTERによるものしか知られていませんが、こんなこともやっていたのです。スカラ座の団員は、ここでは「アルス・ヴィヴァ・オーケストラ・グラヴェザーノ」という名前で、録音を行っていましたね。そのシェルヘンは、現代音楽にも造詣が深い指揮者として知られていますが、ミトロプーロスが急死したために、代わりにスカラ座でマーラーの「交響曲第3番」をすかさず指揮しなければならなくなった時には、なんと準備不足でリハーサルが出来なくなり、結局その演奏会は中止になってしまったのだそうです。そんな一面もシェルヘンにはあったのでしょう。
そして、圧巻はやはりトスカニーニとのリハーサルのものすごさです。なんせ、彼が自制心を失った時には「私たちを侮辱し、指揮棒を折り、ハンカチは引き裂かれ、楽譜を客席や舞台に向かって投げつけたり」したのだそうですからね。しかし、団員たちは彼を恐れながらも、心から尊敬していたこともよく分かります。
このような、まさに伝説的な指揮者との現場の様子が克明に語られている中で浮かんでくるのが、当時の指揮者とオーケストラとの主従関係です。そう、まさにこの時代では、現在ではまず見ることのなくなった「指揮者=主、オーケストラ=従」という関係が、当然のものとして存在していたのです。
しかし、時代は変わっていきます。ベルリン・フィルから「終身」指揮者などというポストを与えられていたカラヤンなどは、まさにそのようなオーケストラの「主」でした。しかし、そのカラヤンでさえ、団員との軋轢が元で辞任に追い込まれ、それ以後の指揮者には常にオーケストラ団員の顔色を窺うような「小物」しか就任できないようになってしまいました。
トスカニーニに関しては、以前からプッチーニが亡くなったために未完に終わった「トゥーランドット」を初演した時の有名なエピソードが伝えられています。それは、「マエストロはここまでで筆を絶ちました」(Qui il Maestro finí.)」と言って、それ以降の演奏を行わなかった、というものですが、著者によればその時に彼が言った言葉は実際はちょっと違っていたのだそうです。それは、「ここでオペラは終る。マエストロの死で未完となったから(Qui finisce l'opera, rimasta incompiuta per la morte del Maestro)」というもの。微妙に意味が変わってきますよね。なんせ、実際に彼が語った一番近いところで聴いていたのですから、著者の記憶さえ確かであったのならば、これが真実だったのでしょう。

Book Artwork © Stylenote

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-01-29 09:50 | 書籍 | Comments(0)