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SHOSTAKOVICH/Cello Concerto No.1, Symphony No.5
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Xavier Phillips(Vc)
David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 009



最近、あちこちで話題になっているフランスのアンサンブル「レ・ディソナンス」がショスタコーヴィチを録音したというので、思わず触手が伸びてしまったざんす。ヴァイオリニストのダヴィド・グリマルが2004年に結成した、この「不協和音」という名前のオーケストラは、指揮者は置かずにグリマルを中心に演奏を行うという、あのアメリカの「オルフェウス室内管弦楽団」のようなスタイルをとっている団体です。最初はNAIVEなどに録音を行っていたようですが、2013年に自主レーベルを発足させ、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトなどの有名どころのライブ録音をどんどん行なってきました。
今回はショスタコーヴィチということで、本当に指揮者なしでも大丈夫なのか気になってしまいますが、彼らはすでにコンサートではラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」などもすでに演奏(もちろん指揮者なしで)しているそうですから、こんなのだったら楽勝なのでしょう。
この団体は、演奏する曲によってメンバーも増減させています。メンバーでもあるチェリストのグザビエ・フィリップスがソロを担当した「チェロ協奏曲第1番」では、かなり小さな編成、弦楽器は8.6.5.5.3のようですね。演奏している写真を見ると、木管楽器の最前列(フルートとオーボエ)の前には弦楽器は配置しないで、コンサートマスターであるグリマルとの距離を最小にしています。これで、弦楽器と管楽器とのコンタクトは密になるのでしょう。これは、もっと弦楽器が増えている「交響曲第5番」でも同じこと、フルートとオーボエは、もろにお客さんの前に全身をさらしています。
「チェロ協奏曲」の演奏は、なにかとても和やかな雰囲気が漂っているものでした。ソロもオーケストラもあまり声高にしゃべることはなく、しっかりお互いのやることを聴き合いながら合奏を楽しんでいる、という感じでしょうか。大活躍するホルンのソリストも、とても伸び伸びと吹いているようです。
「交響曲」では、それだけでは済まされない、かなり周到なリハーサルで方向性を決めてきたような形跡がうかがえます。第1楽章などは、弦楽器はほとんどビブラートをかけていません。これはかなり効果的、この曲の性格を的確に伝えるのには十分なものがあります。もちろん、管楽器も極力ノン・ビブラートを心掛けているようです。ソロ・フルートなどは、間違いなく木管の楽器を使っているのでしょうが、とても暗い音色でアタックも全くつけないで吹いていますから、暗澹たる情景を演出するにはもってこいです。
おそらく、管楽器のソロは基本的に奏者の自由に任せているのでしょう。ここではそれぞれのソリストの個性がはっきり伝わってきます。彼らは、それらを大切にしつつ、全体としては大きな流れを設定する、といった姿勢なのでしょうか。
第2楽章では、アンサンブルは完璧、とても軽快なグルーヴ感が味わえます。
第3楽章では、それまでのノン・ビブラートからはガラッと変わって、弦楽器はとてもねちっこく迫る「熱い」音楽に変わります。それに対してフルート・ソロはとても冷静にそれを見渡している、という感じ、そこからは、何か醒めた視線すら感じることが出来ます。
フィナーレでは、オープニングのテンポの変化などはそれほど劇的なものではありません。あくまで、表面的な効果を狙うよりは、内面的なもので訴えようという姿勢でしょうか。それが恐ろしいほど伝わってくるのが、最後の盛り上がりの前のとても美しい弦楽器の部分(練習番号119から)です。楽譜ではずっとピアニシモのまま淡々と演奏するような指示ですが、そこで彼らはほんの少しのダイナミックスの変化を付けています。それが絶妙の極み、まるでその後に続くバカ騒ぎをあざ笑っているかのように感じられたのは、ただの思い過ごしでしょうか。

CD Artwork © Dissonances Records

by jurassic_oyaji | 2017-03-09 20:10 | オーケストラ | Comments(0)