おやぢの部屋2
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WAGNER/Symphonies
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Jun Märkl/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra
NAXOS/8.573413


リヒャルト・ワーグナーは、もちろんオペラの作曲家として広く知られています。しかし、それ以外のジャンルでも多くの作品を残しています。
そんな中には、「交響曲」だってあります。かなり若いころに作られたハ長調とホ長調の2曲です。ただ、完成したのはハ長調の交響曲だけで、ホ長調の方は第2楽章の途中までピアノ譜が作られただけで、オーケストレーションもされていません。
ハ長調の交響曲はワーグナーがまだ作曲の勉強をしていた1832年、彼が19歳の時に作られました。完成したのは6月ですが、その年の11月にはプラハで試演、さらに12月にライプツィヒで公開の演奏が行われます。その時の評判が良かったので、名門ゲヴァントハウス管弦楽団で演奏してもらおうと、ワーグナーはスコアとパート譜を当時の指揮者だったメンデルスゾーンに送ります。しかし、メンデルスゾーンはあまり乗り気ではなく、結局楽譜もどこかに行ってしまうんですよね。ワーグナーは、これはメンデルスゾーンが悪意でやったのでは、と、恨んだのだそうです。
ワーグナーは晩年にこの交響曲の楽譜を探し出そうとしましたが、パート譜だけがかろうじて見つかっただけでした。1878年に彼はそこからスコアを復元するのですが、その際に少し音を変えたりカットを施したりします。その改訂稿が、このCDでは演奏されています。これは、ワーグナーが亡くなる前年、1882年の妻コジマの誕生日にヴェネツィアのフェニーチェ座で、作曲家の指揮によって演奏された後は、出版もされず、演奏されることもありませんでした(出版されたのは1911年)。
ホ長調の交響曲は、1834年に作りはじめられますが、完成されることはなく、未完のピアノスコアはやはりコジマの許に渡され、作曲家の死後フェリックス・モットルの手によって第1楽章のオーケストレーションと、途中までしかなかった第2楽章の最後に何小節かの終結部を加えてオーケストレーションが施されました。というのが、このCDのブックレットの情報です。
実際にこの2曲を聴いてみると、最初に作られたハ長調の交響曲では、一応先人をお手本にしたことはうかがえますが、かなり大胆なチャレンジも見受けられます。例えば、ソナタ形式で作られた第1楽章などは、提示部に入る前の序奏がものすごく長くなっています。14分ほどかかるこの楽章のうちの3分半が序奏に費やされているのです。これはかなりの冒険ではないでしょうか。第4楽章でも、ポリフォニーを多用するなど、それまでの交響曲とはちょっと毛色が変わっています。
しかし、それに続いて作られるはずだったホ長調の交響曲は、もっとまっとうな形が見られます。それこそシューベルトあたりを髣髴とさせる穏健なたたずまいです。これは全くの想像ですが、ワーグナーは「交響曲」という形に縛られてこんなものを作り出したことに耐えられず、これ以上作り続けるのをやめてしまったのではないでしょうか。自身の進む道は交響曲ではなく劇音楽だと、その時はっきり気づいたのです。
ところが、このCDのバックインレイの情報では、こんなことになっていますよ。これだと、ブックレットとは逆で、最初にホ長調(断片)を手掛けてから、フルサイズのハ長調を作った、ということになってしまいますね。もちろんワーグナーの交響曲が作られた年代などはどこでも見つかるので、こちらの方が間違っていることはすぐに分かります。
しかし、代理店の「帯」を書いた人は何の疑いもなくこれを転載、その結果出来上がったのが「ワーグナー21歳の時に書き上げられた『ハ長調交響曲』」というハチャメチャなコメントです。こんな珍しい曲なのですから、とりあえず頼りにするのはジャケットの情報です。それが間違っていたのではシャレになりません。というか、本国のデータを鵜呑みにしている帯原稿をチェックする人は、まわりにはいなかったのでしょうか。最悪です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-13 22:36 | オーケストラ | Comments(0)