おやぢの部屋2
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つばめKITCHENのメニューは、つばめグリルとちょっと違います
 きのうは、一人で旅に出てきました(探さないでください、とか)。
 いえ、そんな青いものではなく、単なるかっこつけなんですけどね。とにかく、まるまる6時間同じ場所に座り続けるという苦行のために東京に行ってくるだけのことです。まあ、途中で休憩はありますけど。
 ワーグナーのオペラの全曲は、だいぶ昔のバイエルン国立歌劇場の引っ越し公演で「ワルキューレ」を見たことがあるだけ、こればっかりは仙台で見ることなど全くあり得ませんから、この前新国で「カルメン」を見た時に、これをやることを知って、チケットを買ってみました。時間も、マチネだったら2時に始まって8時に終わりますから、最終のはやぶさで帰ってくることが出来ますし。
 ただ、問題はありました。ご覧のように幕間に休憩が2回ありますが、それがそれぞれ45分も取ってあるのですよ。まあ、なんたってワーグナーですから、歌手もオーケストラもそのぐらいの休憩は必要なのかもしれませんが、普通のコンサートでは20分ぐらいの休憩が1回あるだけですから、お客さんにとってはあまりに長すぎます。
 もっとも、おそらくこの時間に食事をしようという人も見込んでいるのでしょう。しかし、それだったらグラインドボーンやバイロイトのように1時間半ぐらい取ってもらいたいものですね。どこか近くでちゃんとした食事を摂ろうと思ったら、これでは短かすぎます。私は、仕方がないのでお隣のオペラシティの地下のロッテリアに行きましたけどね。
 でも、帰ってきたら、ホワイエにはいつの間にかたくさんの「屋台」が出ていたではありませんか。飲み物やサンドイッチ、さらには「ミーメのキッチン」とか言って、ちゃんとしたハヤシライスなんかも出していましたよ。1皿600円ですって。オペラハウスのホワイエでこんな値段は、安すぎます。こんなことをやっていたんですね。ただ、ここで買ったはいいけど、それを食べる場所を見つけるのにちょっと苦労しそうですね。最悪、立ったままお皿を左手に持って食べなければいけないかもしれません。
 さらに、入るときには無かったものがもう一つありました。
 ここは、モギリの前のエントランスで、開演前はこのようにシャッターが下りてます。「カルメン」の時には、このあまりにオペラハウスらしからぬ閉鎖的な態度の物証を撮り忘れていました。これが、休憩時間には、モギリの場所をもっと前に持ってきて、この空間にスタッキング・チェアをずらりと並べて、そこに座って時間をつぶせるようにするのですよ。たしかに、ロッテリアから帰ってきたらここにみんな黙々と座っていましたから、ものすごい違和感がありましたね。ここはオペラハウスのロビーではなく、病院の待合室か、と思ってしまいましたね。いや、いまどきの病院だったら、もっとふかふかのゆったりしたソファーを用意しているところだってありますよ。この前のクロークの不手際といい、ここは絶対何か勘違いを犯しています。
 オペラの方は、やはり勘違いをしている客がすぐ前の席に座っていたために、視界を遮られて腹が立ちましたが、演奏は素晴らしい歌手たちの歌に、まさに酔いしれてしまいました。最初のミーメ役のアンドレアス・コンラッドからして、ジークフリート役のステファン・グールドよりもすごい声を聴かせてくれていましたからね。もっとも、おそらくグールドはこのあたりは少し声をセーブしていたのかもしれませんね。もう、しり上がりに声の伸びが増していって、完全に圧倒されました。ヴォータン役のグリア・グリムスレイはちょっと軽めの声ですが、それが狡猾さを出していたのかもしれません。後半になって登場するエルダ役のクリスタ・マイヤーと、ブリュンヒルデ役のリカルダ・メルベートもすごかったですね。メルベートはずっと寝ていたせいでしょうか、立ち上がりはちょっと不安でしたが、最後はグールドともども、ホール一杯に声を響かせていました。
 最悪だったのは小鳥役の日本人のキャストたち。そもそも、なんで4人も必要なのか、全く理解できません。そして声がお粗末なだけではなく、体型もお粗末な人もいましたね。場末のストリッパーのような安っぽい肌襦袢を着ていますが、もろに三段腹が見えてしまうのは醜悪すぎます。
 それと、このプロダクションは故ゲッツ・フリードリヒが最後にフィンランドの歌劇場で手掛けたものなのだそうですが、装置もそこで使われたものをそのまま使っているためでしょうか、新国のプロセニアムの上半分がふさがれていました。「カルメン」の時の広々としたステージを期待していたのに。第3幕の第1場などでは、ヴォータンの乗ったステージがせり上がるのですが、そうなるとさらに圧迫感が強まってしまいます。それと、些細なことですが、第1幕のセットでは、2階席からは歌手が後ろに降りていく階段の手すりが丸見え、興ざめです。「共同制作」というのは、このような不具合を強制されるものなのでしょうかね。
 そんなアラ探しばっかりやっていたのは、オーケストラが何か違うな、という感じがあったからなのでしょうか。とにかく淡泊すぎて、ワーグナーらしいドロドロとしたものが全く感じられないのですよね。編成はハープは4台(楽譜の指定は6台)しかありませんでしたが、あとはしっかり16型の弦楽器がピットに入っていたのに。
 でも、バンダでコール・アングレ(ジークフリートの葦笛)を吹いていた人が、ニューフィルにトラで来たこともあるMさんでした。とっても「ヘタ」で、すごくよかったですね。
 幕が下りたのが19:44、予定より早く終われば、ギリギリ最終の一つ前のはやぶさに乗車変更しようかなと思っていましたが、これでは絶対無理です。予定通り、ゆったりと夜の東京を一人で楽しんできましたよ。
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by jurassic_oyaji | 2017-06-05 21:34 | 禁断 | Comments(2)
Commented by desire_san at 2017-06-13 19:57
こんにちは・
私もワーグナーの『ジークフリート』の舞台を鑑賞してきましたので、ブログを楽しく拝見しました。ワーグナーの楽劇は、活気に満ち血が通った力強い音楽、説得力を持って語りかけてくる音楽のテンポの躍動的変化が生み出す推進力、常に人間の歌声が中心に置かれながら、完璧なまでのオーケストレーションは、ワーグナーの世界に魅了されました。ジークフリート役のステファン・グールドは、高い音も力強く伸び、高い音が鮮やかに表現した歌声は感動的でした。ブリュンヒルデ役カルダ・メルベートは、神性を失ってしまったことへの不安、ジークフリートの求愛に値しないのではないか悩みなどを激しい調子で歌い感動的に表現していました。コ国民だけでなく人類に普遍のものであることを、目の前で作品をじっくり見ていると感じました。私はキース・ウォーナー演出、準・メルクル指揮「トーキョー・リング」も鑑賞していましたので、今回の飯守泰次郎さんの『ジークフリート』も冷静に客観的に比較しながら楽しむことができました。

その観点も含めて、『ジークフリート』の魅力と特徴、楽劇の舞台に及ぼす演出の力を考察しながら、今回の飯守泰次郎さんの魅力を整理してみました。一度眼を通していただき、何かのご参考になれば幸いです。ご感想、ご意見などコメントいただけると感謝いたします。



Commented by jurassic_oyaji at 2017-06-13 22:28
desire_sanさま。
コメントありがとうございました。
ブログも拝見しました。労作ですね。キース・ウォーナーの演出は実際には見ていないのですが、かなり評判が良かったように記憶しています。でも、やはりいろいろ問題はあったのですね。