おやぢの部屋2
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60TH ANNIVERSARY
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Duke Aces
UNIVERSAL/UPCY-7060


先日、「デューク・エイセス解散!」というニュースが日本中を駆け巡りましたね。いや、それほど大袈裟なものではありませんでしたが、この、結成されてから60年以上経っているコーラスグループがなくなってしまうことは、一部の人にはかなりの衝撃だったはずです。
結成されたのは1955年ですが、その時のメンバーで今日まで歌い続けているのはバリトンの谷道夫さんだけです。ただ、1958年までにセカンドテナーの吉田一彦さんとベースの槇野義孝さんが加入した後は、この3人は2014年までの57年間変わることはありませんでした。これは驚異的なことです。イギリスの「キングズ・シンガーズ」などは、やはり50年近くの歴史を誇っていますが、メンバーの中で最も長く在籍したデイヴィッド・ハーレイ(カウンターテナー)の在籍期間は「たった」26年ですからね。
何度も代わっていたのはトップテナーのパート。初代(最初はセカンドでした)の和田昭治さんは1960年に小保方淳さんに代わり、さらに1964年には谷口安正さんに代わって、ここからこのグループの黄金期を迎えます。永六輔といずみたくのチームが作った「にほんのうた」シリーズが次々にリリースされたのはまさにこの時代ですね。この中からは、「女一人」とか「いい湯だな」といった、今にまで伝えられる名曲も生まれています。「筑波山麓合唱団」も、ある意味男声合唱の定番ですね。
さらに、トップテナーの人事異動は続きます。1991年からは谷口さんの急逝を受けて飯野知彦さん、そして2010年からは大須賀ひできさんに代わっています。
2015年に60周年、つまり「還暦」を迎えるにあたって、デューク・エイセスはその前年に「感謝還暦」というアルバムをリリースします(「還暦」が「感激」もじりだということは説明の必要はないでしょう)。ここでは、彼らの鉄板のレパートリーであるニグロ・スピリチュアルズやジャズ・コーラスのスタンダードの他に、かつて永六輔が作詞、中村八大が作曲をし、永自身が歌った「生きるものの歌」の、永のセリフ入りバージョンと、新曲の「友よさらば」が加わっていました。それを引っさげてのツアーが、同じ年の10月から始まるのですが、そのステージにはセカンドテナーの吉田さんの姿はありませんでした。彼は体調を崩して療養中だったので、代役の岩田元さんがそのパートを務めていたのです。翌年の3月には吉田さんの引退が発表され、岩田さんが後任となることが決まりました。
そして、それから2年後に、デューク・エイセスの解散が告げられました。今年の末には、この男声カルテットは62年の歴史に幕を下ろすのです。決して19(ジューク)年で終わることはありませんでした。
岩田さんが加入してから最初の、そしておそらく最後となるアルバムが、この「60周年記念盤」です。5年前にも55周年記念アルバムhttp://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/oyaji2/oyaji_84.htm#dukeを出していましたが、これも同じような内容のベストアルバムです。何曲か、55周年盤と同じ曲が収録されていますが、「おさななじみ」の続編と続々編、そして「ここはどこだ」を除いては全て別テイク、オリジナルではなく、1992年にリリースされた「新世界」というタイトルのセルフカバーアルバムのために録音されたものです。ただ、それはいろいろ調べて分かったことで、このアルバムにも55周年盤同様録音データは一切記載されてはいません。
そして、新録音として、2015年の3月の、最後のメンバーによるライブ音源が2曲入っています。これを聴いて、デュークはトップテナーが大須賀さんに代った時点ですでに終わっていたことを強く感じました。先ほどのセルフカバーでは、飯野さんは極力谷口さんのコピーに徹しようとしていましたが、この人は最初からそんな努力とは無縁だったようです。そこに素直な声の岩田さんが加入して、この異質な声はより際立って聴こえます。なぜこんな人を入れたのか、理解に苦しみます。悔やまれてなりません。

CD Artwork © Uninversal Music LLC

by jurassic_oyaji | 2017-06-06 22:57 | 合唱 | Comments(1)
Commented by 博子 at 2018-03-05 18:07 x
そんな言い方をしなくても良いと思います。私はデュークエイセスと大須賀さんのフアンです。これをフアンやご本人が読んだときどのような気持ちになるかがわからないのですね。博子