おやぢの部屋2
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プログラムノーツを公開します
 8月6日に開催される杜の都合奏団のプログラムノーツが出来上がりました。毎回、私が書いている、こんな曲を演奏します、ということを会場に来た皆さんに知っていただくためのコメントです。もし興味がわくようなことがあれば、ぜひ演奏会にいらしてみてください。
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 私たち杜の都合奏団は、創設時から小人数の弦楽器による室内オーケストラとして活動を行ってきましたが、今回は弦楽器のメンバーを大幅に増やして、グスタフ・マーラーの大作「交響曲第5番」に挑戦することになりました。それに先立って、マーラーより6年早く、1854年に生まれた作曲家、エンゲルベルト・フンパーディンクの歌劇「ヘンゼルとグレーテル」の前奏曲をお聴き下さい。
フンパーディンク:歌劇「ヘンゼルとグレーテル」前奏曲
 この作曲家の名前を聞いて、1960年代から1970年代にかけて「Man Without Love(愛の花咲く時)」とか「Love Me With All of Your Heart(太陽は燃えている)」といった曲を歌って大ヒットを飛ばしていたイギリスのポップス・シンガーの名前を思い出す人もいらっしゃるかもしれません。もちろん、それはこの作曲家にちなんだ芸名です。ただ、芸名を付けるにしても、ふつうのアーティストだったら、たとえば「グスタフ・マーラー」などのようにクラシックの作曲家としてきちんと認知されている人の名前なんか絶対に名乗りたくないでしょうから、そのあたりからこのフンパーディンクさん(作曲家の方)の微妙な立ち位置が分かろうというものです。生前は作曲家、あるいは教育者(あのクルト・ワイルの先生でした)として名声を博していたフンパーディンクでしたが、現在ではこの「ヘンゼルとグレーテル」1曲しか知られていませんから、まさに「一発屋」です。さいわい、この歌手はそうはなりませんでしたが。
 当時は偉大なワーグナーによって「ニーベルンクの指環」のような巨大なオペラが作られてしまった後でしたから、作曲家がその偉業を引き継いで新たにオペラを作ろうとした時には、かなりの困難が待ち構えていました。一部では、実際に同じような大規模なオペラも手掛けられますが、もっと別な道、ワーグナーの「指環」の中でも「ジークフリート」が色濃く残していた「メルヒェン」としてのオペラを目指す作曲家が数多く出てきます。フンパーディンクもその一人、多くの「メルヒェン・オペラ」を世に送りました。
 彼は若いころ実際にバイロイトでワーグナーのアシスタントを務めていたこともありますから、その音楽は師匠を正当に継承するものでした。彼が作った「メルヒェン・オペラ」は、確かに良く知られたドイツの子どもの歌の引用はありますが、それらはワーグナー風の厚いオーケストレーションで彩られ、無限旋律の中に埋め込まれているのです。
 開幕前に演奏されるこの前奏曲は、オペラの中で登場する重要なモティーフを使って、このお話の内容を簡潔に語っています。最初にホルンで演奏されるとても美しいコラールは、まさにこのオペラのテーマとして何度も何度も繰り返し劇中に現れます。それが最初に登場する時にはグレーテルによって、「お父さんから教えてもらった讃美歌よ」という説明の後に、「本当に困った時には、神が手を差し伸べて下さる」という、その讃美歌のテキストが歌われます。
 このコラールが朗々と何度も繰り返されたあと、音楽はアップテンポに変わります。その瞬間にトランペットで登場するのがお菓子の魔女のモティーフです。それに絡む半音階の進行が、魔女の不気味さを表現しています。と、そこに流れるように澄み切ったようなモティーフが現れます。これは、第3幕での霧の精がヘンゼルとグレーテルを目覚めさせる時に歌う歌の中に出てくるうメロディです。そして、途中で断片的に表れていた浮き立つようなモティーフが、終わり近くで完全な形で出現します。これは終幕で魔女に眠らされていた子供たちの魔法が解けて元気に歌う合唱のモティーフです。これに先ほどの目覚めのモティーフが加わって盛り上がったのち、最初の讃美歌のモティーフが静かに流れて、この前奏曲は終わります。

マーラー:交響曲第5番
 1860年にボヘミアのカリシュトという村に生まれたグスタフ・マーラーは、その50年の生涯で11曲の交響曲を手掛け、そのうちの10曲を完成させました。彼が作った交響曲たちは、それまでのこのジャンルのしきたりを大きくはみ出した、とてつもない様相を呈していました。特に顕著なのが他のジャンルである歌曲との相互乗り入れと、規模の大きさです。
 そんな交響曲の中で、おそらく今日最も頻繁に演奏されているのが、この交響曲第5番ではないでしょうか。もちろんここにも、彼の歌曲からの引用はありますし、合唱こそ入っていませんがオーケストラの編成はかなり大きなものですから、その特徴は端的に継承されています。しかし、この交響曲がここまでの人気を獲得したのは、ひとえにその5つから成る楽章の4番目、「アダージェット」という表題を持つ楽章のお蔭でしょう。これは、トーマス・マンが自分自身とマーラーをモデルにして1912年に出版した小説「ヴェニスに死す」が1971年にルキノ・ヴィスコンティによって映画化された時にサウンド・トラックとして使われて、広く知られるようになりました。さらに、あの大指揮者カラヤンの死後、1994年にこの曲がメイン・チューンとして収録された「アダージョ・カラヤン」というコンピレーション・アルバムがドイツ・グラモフォンからリリースされ、全世界で500万枚もの売り上げを記録するに至って、「アダージェット」はヒーリング・ピースとしても多くの人の心をつかむことになったのです。
 マーラーがこの交響曲の製作を始めたのは、1901年ごろとされています。その年の11月には、彼にとって人生の転機ともいえる出来事が起こります。それは、アルマ・シントラーとの出会いです。その時のアルマは22歳、マーラーは41歳でした。いわゆる「ひとめぼれ」というやつで、二人は会った瞬間にお互いを好きになり、翌年3月には結婚します(その時、新婦は妊娠3か月でした)。アルマはとても聡明な女性で、それまではツェムリンスキーの元で作曲の勉強もしていました。結婚を機に、彼女は夫の命令で作曲をすることは禁じられますが、その分、夫の片腕として尽くすようになります。具体的には夫の楽譜の浄書、いや、時にはラフな下書きを渡されてオーケストレーションを施すようなことまで行っていたとされています。この交響曲第5番では、その初演前のリハーサルをこっそり聴きに行って、オーケストレーションが変えられていることに落胆したという彼女の回想録が残っています。
 単にそのようなアシスタントとしての実務ではなく、彼女の存在自体がマーラーの作曲意欲を盛り上げたのは間違いありません。いわば、アルマはマーラーにとってのミューズだったのです。ただ、アルマにとってのマーラーは、単なる「最初のオトコ」でしかありませんでした。マーラーと彼女との結婚生活は彼が亡くなる1911年まで続きますが、そのころにはヴァルター・グロピウス(バウハウスを創設した建築家)との不倫が発覚しての泥沼状態でしたからね。
第1楽章「葬送行進曲」(正確な歩みで、厳格に、葬列のように)
 「交響曲第5番」というタイトルで最も有名なものは、俗に「運命交響曲」と呼ばれているベートーヴェンの作品でしょう。それをマーラーが意識したのかどうかは分かりませんが、この交響曲の冒頭には、ベートーヴェンが使っている「タタタ・ター」というリズムのモティーフがソロのトランペットによって現れます。同じ音が続いた後、短三度上の音に跳躍するのですが、同じタイミングで半音高い長三度上の音になると、これは有名なメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の中の「結婚行進曲」になってしまいます。単なる偶然なのかもしれませんが、こんなところにもマーラーのアイロニカルな視点を感じてしまいます。
 このトランペットのソロに続いて、音楽は一気に盛り上がり、約30秒後にはとてつもないクライマックスを迎えます。これも見当外れかもしれませんが、マーラーの4歳年下で、ある意味ライバルだったリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭のファンファーレ(こちらはスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」で有名になりました)と同じ種類のカタルシスを見る思いです。
第2楽章(嵐のように激しく、一層の激しさをもって)
 この交響曲は5つの楽章から成っていますが、マーラーはさらに第1楽章と第2楽章をまとめて「第1部」、第3楽章を「第2部」、第4楽章と第5楽章をまとめて「第3部」として、第3楽章を中心にしたシンメトリカルな構造を提起しています。したがってこの第2楽章は「第1部」の後半という位置づけになり、前の楽章で現れたモティーフが変形されて現れています。コンサートでは、第1楽章から続けてそのまま演奏されます。
 冒頭のまさに「嵐のよう」な場面が収まった時にフルートで現れるのが、お馴染みの「タタタ・ター」のリズム、しかも、ここではメロディまで「運命」と同じ長三度の下降になっています。そのリズムに乗って聴こえてくるのは、チェロによる第1楽章のゆったりとしたテーマです。楽章の終わり近くになって、金管楽器が奏する、まるでブルックナーのように壮大なコラールにもご注目。
第3楽章「スケルツォ」(力強く、速過ぎないように)
 スケルツォとは言っても、これはもっとテンポの遅い、ヨハン・シュトラウスのウインナ・ワルツのような音楽です。しかし、なんせマーラーのことですから、いつまでもそんな軟弱な音楽が続くわけがありません。クラリネットはまるでニワトリのように啼き叫び、フルートは超高音で悲鳴を上げています(マーラーはフルート奏者が嫌いだったのでしょう、楽章の最後には「あわててピッコロに持ち替えろ」という無茶振りがあります)。
 この楽章ではまるでホルン協奏曲のようにホルン・ソロが大活躍します。ですから、ホルン奏者は立って演奏します。彼の名人芸にも酔いしれてください。
第4楽章「アダージェット」(非常に遅く)
 管楽器は全員お休み、弦楽器とハープだけで演奏される、まさに世紀末(いや、すでに世紀は変わっていましたが)的な頽廃感の中でエロティシズムさえ漂う、濃厚な媚薬のような音楽です。この楽章のために集まった総勢60人の弦楽器奏者が醸し出す、身も心もとろけるような極上の響きをご堪能下さい。
第5楽章「ロンド‐フィナーレ」
 そして、やはり間をおかずに最後の楽章が始まります。ホルンに続き、木管楽器のソロがそれぞれに素朴なメロディの断片を奏でます。この中には、マーラー自身の歌曲集「子供の不思議な角笛」からの引用もあり、その歌詞からマーラーのこの楽章、あるいは交響曲全体への「深読み」が試みられています。それは主に、第2楽章の最後に現れ、この楽章の最後でもさらにパワーアップして金管楽器によって響き渡る壮大なコラールに対する謎解きです。マーラーはそこにブルックナーのパロディという、どす黒い意志を込めているのだとか。
 ここに至るまでのとても長い時間、オーケストラは多くの声部が入り乱れてそれぞれの歌を歌うという複雑なポリフォニーを展開しています。それがこのコラールにたどり着いて、その勢いのままにエンディングを迎えるのかと思うと、最後の最後で現れるのはなんとドビュッシー風の全音音階です。印象派の音楽に対しては何の関心も持っていなかったとされるマーラーは、何を思ってこんなことをしたのでしょうか。


by jurassic_oyaji | 2017-07-23 23:07 | 禁断 | Comments(0)