おやぢの部屋2
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MAHLER/Symphony No.1




Roger Norrington/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.137



ノリントンとシュトゥットガルト放送交響楽団による「ピリオド・アプローチ」シリーズ、ついにマーラーの登場です。ガーデニングには欠かせません(それは「腐葉土」)。このような話題満載の輸入盤、ぜひ多くの人に買って頂きたい、という輸入元の心意気は、音を聴く前から伝わってきます。まず、外側に巻いてある「タスキ」。日本語によって演奏者や曲目が記載され、演奏に関する短いインフォメーションが付くという、例えばNAXOSあたりでは全てのものに付いている「オマケ」が、こういうことをあまりやらないこの業者(キングインターナショナル)のものに付いています。それだけではありません。今回は何とブックレットにまで日本語の解説が印刷されているのです。普通、こういう輸入盤のブックレットの場合、英語、ドイツ語、フランス語あたりが並んで掲載されているものは珍しくありませんが、そこに日本語が最初から印刷されている、というのは、私が知る限り非常に珍しい例です。先ほどのタスキには「Printed in Japan」と書いてあるので、おそらくこのブックレットだけは日本で印刷されて、日本の市場にしか出回らないものなのが、ちょっと残念ですが。最初からヨーロッパやアメリカのメーカーが日本語も印刷、さらにDVDではオペラの対訳に常に日本語が付く、という時代は果たして来るのでしょうか。
いずれにしても、そこまでして読んでもらいたいという、このノリントン自身によるライナーノーツは、確かに興味深いものがあります。今回特にマーラーの1番に「花の章」を加えて演奏していることへの彼のこだわりは、吉田さんという方のとても分かりやすい訳文によって的確に伝わってきます。しかし、現実にはこの「花の章」は、マーラー自身があえて初稿から取り除いたもの、ここでノリントンが行っている最終稿の中にこの楽章だけを挿入するという方法は、彼がライナーで述べている「この響きはマーラーが自ら指揮した時に耳にしたもの」という主張に対して少しばかりの矛盾を含むものであることは、否定できません。
もっとも、そのあたりのシビアな詮索は、この曲をあくまで「標題音楽」として捉えるというノリントンのアプローチを知ってしまえば、それほど重要なことではなくなることでしょう。事実、この演奏を聴くことによって、まさに目の前に具体的な情景が浮かんで来るという、ちょっと今までこの曲からは味わうことの出来なかった体験が得られるという面で、ノリントンの際だった「直感」のようなものは改めて評価出来るのではないでしょうか。その結果、1楽章あたりではまるで緊張感の伴わない、ほのぼのとした情感が喚起される場面があったとしても、それを指揮者が感じた作曲家からのメッセージとして受け入れるだけの度量の広さが、求められてくるのです。
それよりも、彼が「ピュア」だと信じて疑わないノンビブラートの弦楽器による冒頭のフラジオレットから、なぜこのような「濁った」響きが出てしまうのか、といったような点については、真剣に議論する必要はあるのではないでしょうか。もっと言えば、例えば最終楽章の練習番号42番から入ってくるビブラートをたっぷりかけたオーボエ・ソロの中には確かに存在する「歌」が、その前の41番から奏でられる弦楽器の中には、なぜその片鱗すらも見出すことができないのか、きちんと検証した上で、この時代の音楽に対する「ピリオド・アプローチ」の功罪を判断する姿勢が、私達に求められてはいないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2005-09-19 19:40 | オーケストラ | Comments(0)