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DURUFLÉ/Requiem, RESPIGHI/Concerto gregoriano
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Henry Raudales(Vn)
Okka von der Damerau(MS), Ljubomir Puškaric(Bar)
Ivan Repušic/
Chor der Bayerischen Rundfunks(by Michael Glser)
Münchner Rundfunkorchester
BR/900320


デュリュフレの「レクイエム」のフル・オーケストラ・バージョンの最新録音、2017年の3月にミュンヘンのヘルツ・イエス教会で行われたコンサートのライブ録音です。オーケストラはミュンヘン放送管弦楽団、指揮は、1978年にクロアチアに生まれ、今年の秋にこのオーケストラの首席指揮者に就任したばかりのイヴァン・レプシッチです。合唱も、昨年の秋にやはり首席指揮者がダイクストラからハワード・アーマンに替わったばかりの、バイエルン放送合唱団です。
この「レクイエム」は演奏時間が30分ほどしかありませんから、CDの場合にはこれ1曲だけということはまずありません。そこで、多くの場合、カップリングとして演奏されているのが、デュリュフレが形式の上で参考にしたというフォーレの「レクイエム」です。これだと、ちょうどCD1枚としては適当な尺になるので、世の中にはこの組み合わせがたくさん存在しています。
しかし、今回のCDの元となったコンサートでは、思ってもみなかったような組み合わせがとられていました。ご存知のように、この「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌の旋律がすべての楽章でテーマとして使われています。そこで、このコンサート自体もこの後にレスピーギの「コンチェルト・グレゴリアーノ」という、やはりグレゴリオ聖歌がモティーフとなっている作品が演奏されていたのです。
デュリュフレでは、このオーケストラ・バージョンの特性を最大限に生かした、とても幅広い表現力を持った音楽が広がります。まずは、合唱がとても渋い歌い方で、そこからはよく練り上げられた、まさに「大人の」表現が伝わってきます。そしてオーケストラは、おそらくこの指揮者の資質なのでしょう、いかにも聴かせどころを押さえた巧みな設計で、計算されつくした盛り上がりを用意してくれています。
常々、このオーケストラ・バージョンはダイナミック・レンジの変化があまりに唐突に感じられる個所(たとえば「Domine, Jesu Christe」の途中の「libera eas」からの部分など)があちこちにあって、ちょっと不自然な感じを抱いてしまうことがあるのですが、今回の演奏では何の違和感もなくそのようなクライマックスに対応できるのですね。聴く人を驚かすことなく、自然に場面転換を見せる術を、この指揮者は会得しているのでしょう。
ソリストも堂々とした押し出しで、この曲に必要なある種のパワーを示してくれています。こういう演奏を聴いてしまうと、作曲家が自ら作ったオルガンだけによるリダクション・バージョンには、このオーケストラ・バージョンとは全く別のベクトルを与えていたのではないか、という気になってしまいます。デュリュフレは、これらにカラー写真と白黒写真、いや、もしかしたら3D-IMAXとサイレント映画ほどの違いを込めていたのではないでしょうか。もちろん、それによってそれぞれの価値の優劣が問われることは決してありません。
レスピーギの「グレゴリア聖歌風ヴァイオリン協奏曲」は、3楽章形式でヴァイオリンのソロが大活躍をするごく普通の協奏曲の形をとっています。第1楽章は、レスピーギお得意の「シチリアーノ」のリズムが全体を支配する穏やかな音楽で、そこには「グレゴリア」の姿はありません。それがはっきり表れるのは、その楽章の最後に置かれた長大なカデンツァから、アタッカで次の楽章に入った瞬間です。どこかで聴いたことのあるような、ほのかに中世の雰囲気を湛えたその旋律は、のどかな安らぎを与えてくれます。ところが、最後の楽章になって出てきたのは、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のテーマに酷似した、なんとも俗っぽい東洋的なメロディです。正直、「グレゴリア」とは全く住む世界の違うように思える要素が混在するこの作品(なに?これは)、それでも、このデュリュフレを聴いた後ではあまり違和感がないのは、なぜなのでしょう。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-10-12 23:40 | 合唱 | Comments(0)