おやぢの部屋2
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東昌寺のイラストはマルミガヤ
 最近は、新聞を取っている人が少なくなっているみたいですね。ニュースはテレビやネットで見れば十分、わざわざ買ってまで同じ記事をよくことはないということなのでしょう。正直、私も新聞は購読していますが、もはや惰性で続けているだけで積極的に取る必然性は感じていません。しいて言えば、いしいひさいちの連載マンガを読みたいからでしょうか。もし、それがなかったらとっくの昔に止めていたでしょうね。
 なにしろ、最近の新聞はあまりに広告が多すぎます。極端な話、広告のチラシをお金を出して買っているようなものですからね。それと、地方版もなんだかなあ、というような企画があったりしますから。最近は、もろ「ブラタモリ」をパクったのではないかという特集で、仙台の知られざるスポットを探ろうという賞もない企画を続けていますから。
 ただ、今日もその連載だったのですが、タイトルに「北山五山」というのがあったので、ちょっと興味がわきました。これはぜひ読んでみなければ。これがその記事の全文です。画像をクリックすると、もっと大きいPDFが見られます。
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 確かに、この中では「北山五山」と呼ばれている複数の寺院の名前が紹介されていますね。いろいろ問題がある、「『輪王寺』は北山五山なのか」という点も、「2種類ある」という玉虫色の解決でお茶を濁していますし。そもそも、仙台藩は「北山五山」を正式に決めたことはないのだそうですね。ただ、本当はその前に「伊達五山」というものがあったのだ、ということに関しては、ここでは全く触れられていません。それだけではなく、その「伊達五山」と「北山五山」との関係を正確には把握できていないのでは、というおかしな文面もあるのですよ。それが、これです。
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 まずは、これはいくつか曖昧なところがあるので、正確な情報が伝わってこないという「悪い文章」の見本みたいなものですね。最初に「周囲には」とありますが、それはどこの「周囲」なのかは、この前の文脈で仙台であることは明らかです。ところが、ここにある伊達政依が鎌倉時代に居たのは仙台ではなく、今の福島県の桑折というところでした。そしてそこに「伊達家ゆかりの寺院」を作ったんですよ。政宗がやったのは、「それらに加えた」のではなく、その「伊達五山」をそのまま仙台の北山に持ってきたということなんです。つまり、この文章全体がお粗末な事実誤認ということになりますね。
 事実誤認はまだまだ続きます。それはこれ。
東昌寺のイラストはマルミガヤ_c0039487_08274444.jpg
 「青葉神社」は確かに政宗を神体とした神社ですが、今の場所に作られたのは明治初期、決してどっかから「移って来た」わけではありません。いったいどこからこんな情報を仕入れたのでしょう。
 ほんと、こんないい加減な新聞、すぐに解約したほうがいいのに。
by jurassic_oyaji | 2017-12-03 22:07 | 禁断 | Comments(0)