おやぢの部屋2
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DURUFLÉ/Complete Choral Works

Thomas Herford(Bar)
Clare Wilkinson(MS)
Mark Williams(Org)
Richard Marlow/
Choir of Trinity College, Cambridge
CHANDOS/CHAN 10357



「レクイエム」でお馴染みのモーリス・デュリュフレの「合唱曲全集」、といっても、彼が生涯に作った合唱曲は、ちょうどCD1枚に収まる分量の、このアルバムの4曲が全てになります(録音が行われたのは1999年から2005年までということになっていますが、どの曲がいつ録音されたかというデータは、不親切なことにここには一切ありません)。彼の作品は合唱曲以外にはオルガン曲とほんの少しのオーケストラ曲というごく限られたもので、そもそも、ここに収められている「われらが父よ」という無伴奏混声合唱曲が「作品14」という、彼の最後の作品なのですから。ただ、そんな手頃な「全集」とは言っても、今までこの4曲全てを1枚のCDに収録したものとしては、オドネル盤(HYPERION/1994スーリス盤(SYRIUS/1998ロビンソン盤(NIMBUS/1998ぐらいしかなかったのですから、これはちょっと貴重。
マーロウと、ケンブリッジ・トリニティ・カレッジ聖歌隊は、1989年に、CONIFERに「4つのモテット」とミサ「クム・ユビロ」を録音していました。その時のカップリングはフォーレの「レクイエム」のネクトゥー・ドラージュ版と、メシアンの「おお聖餐よ」でしたね。したがって、最初にその録音との比較を試みるのが、手順、というものでしょう。「冬ソナ」ですね(それは「ペヨンジュン」)。しかし、懐かしいCONIFERをまず聴いて、その純粋な響きを堪能したあと、このCHANDOS盤を聴いてみたところ、やはり合唱団というのは生き物、10年ちょっとの間にかなり肌触りが異なっていることに気づかされてしまいます。無垢な中にも暖かい響きを持っていた女声(成人女声です)には、なにか突き放したような冷たさが宿っていることを認めないわけにはいきません。男声の柔らかい響きは健在でしたが、ちょっとパートとしてのまとまりがなくなっています。これは男声のユニゾンで歌われる「クム・ユビロ」ではっきり分かることなのですが、かつて完璧なまでに一つのパートとして迫ってきたユニゾンの絆がバラバラになって、個々のメンバーがそれぞれ別の方向を向いてしまっている、という印象を受けてしまったのです。
ただ、今回オルガンパートだけは、明らかに前回よりも良くなっているのがはっきり分かるというのはちょっと皮肉なものです。録音場所は同じトリニティ・カレッジですから、同じ楽器を使っているはずなのに、その存在感が全く異なっています。逆に、オルガンが立派すぎるために合唱が少し見劣りしているのかもしれません。
そんな状況で、本命の「レクイエム」を聴いてみましょう。こうなってくると、合唱の方はあまり期待できませんから、いきおい、耳はオルガンに向くことになりますが、その適切なストップの選択から生まれる表情豊かな演奏からは、殆どフルオーケストラと比べても遜色ないほどのものが聞こえてきたのには、嬉しくなってしまいました。そして予想通り、合唱はこの曲の全てのCDを聴いてきた私としては不満だらけのものでした。男声のユニゾンで始まる第1曲目の冒頭でもうがっかり、そのあとの女声も重苦しい響きで、ここでぜひあってほしい羽根のようにフワフワした浮遊感が全く感じられません。逆に「サンクトゥス」などで要求される力強さも、ただの荒々しさでしかありませんでした。そんな幅広い表現力が必要とされるこの曲での合唱の難しさを、改めて痛感されることになってしまったわけです。ソリストの2人も、ちょっと水準以下、メゾのウィルキンソンなどは、殆ど素人です。せめて、フォーレを録音していた時に、この曲も録音してくれていたら、というのは、もはや叶わぬ望みなのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-08 19:32 | 合唱 | Comments(0)