おやぢの部屋2
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Silence & Music
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Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-12-12 22:20 | 合唱 | Comments(0)