おやぢの部屋2
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バッハの街 Bachstätten









Martin Petzoldt著(小岩信治・朝山奈津子訳)
東京書籍刊
(ISBN4-487-79840-X)


バッハの「街」ですから、元のタイトルが「Bachstädte」だと思ったら、そうではないのですね。これだと「バッハゆかりの場所」みたいな訳の方が、より正確な気はしますが。しかし、サブタイトルはもっとすごいことになっていますから、ここでめげてはいけません。「Ein Reiseführer zu Johann Sebastian Bach」、素直に「ヨハン・セバスティアン・バッハへの旅行ガイド」と訳しておけば良いものを、関係者が付けた邦訳は「音楽と人間を追い求める長い旅へのガイド」ですと。なんだかなぁ、という感じですね。ことバッハに関してはそのぐらい重々しいタイトルでないと、世の中では認められないとする感覚が、いまだにこの国には蔓延しているのでしょう。
という具合に、いつかご紹介したカルショーの本にも見られたように、クラシック音楽の書籍の翻訳にあたっては何が何でも「教養」を前面に押し出したいという翻訳者達の美しい「使命感」は、明治以来の「伝統」として、これからも変わらず継続されていくことでしょう。何とうざったい。余談ですが、翻訳業界でのちょっと普通の感覚では理解しにくい不思議な習慣は、他の分野でも大手を振って闊歩しています。特に、児童文学での見当外れの親切心といったら、殆ど犯罪的ですらあります。最近映画化されて大ヒットとなった「チャーリーとチョコレート工場Charlie and the Chocolate Factory」の原作(まず、タイトルの訳が「チョコレート工場の秘密」というだけで、ひいてしまいます)あたりは、その最も分かりやすい例です。今、所狭しと書店をにぎわしているその「新訳」を読んでみると、訳者が誇らしげに「チャーリー・バケットは、チャーリー・バケツとしないことには、ちゃんと翻訳したことにはならない」と開き直っているのですからね。「ベルーカ・ソルト」が「イボダラーケ・ショッパー」ですって。これらのキャラクター名にはちゃんとした意味があるのだから、それが分かるような翻訳でないといけないのだとか。こういう感覚にはとてもついて行けないと思うのは、私がそういうものに慣れていないというだけのことなのでしょうか。そんなことを言っていたら、それこそ「バッハ」は「小川さん」と訳さなければならなくなりますし、シューベルトは「靴ひもさん」ですよね(それは・・・)。


と、関係のないところで悪態を付いてしまいましたが、この本の価値は、そんなおかしなセンスの翻訳でいささかも減じるものではありません。言ってみれば、300年近くの時を軽く飛び越えた「旅行」を体験できるという、まるでタイムマシンのような「ガイド」、これはちょっとすごい発想です。
その仕掛けはこうです。バッハが生前住んだり訪れたりした場所を42ヵ所ほど探しだし(その中には、確かに行ったという証拠がないところも含まれます)、資料を基にそこでバッハが何月何日にどういうことをしたのかを、事細かに述べているのです。人の名前がたくさん出てくるのには少しひるみますが、その、まるで見てきたような筆致を支えている、現在のバッハ研究が到達した成果の精密さには驚かずにはいられません。そして、そのあとに続くのが、現在のその場所の詳細な説明です。歴史的な教会や、その中に設置されている、バッハが触れたであろうオルガン(もちろん、現在は建て替えられて原形をとどめないものも多数)のストップ表まで、克明に記載されているのです。さらに、交通手段や連絡先、教会を見るには予約が必要か、など、本当の意味での「ガイド」まで付いているのですから、すごいものです。ですから、これを読んで実際にそこに行ってみたくなる人も多いことでしょう。あなたの一番大切な人と一緒に行かれてみてはいかがでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-14 20:06 | 書籍 | Comments(0)