おやぢの部屋2
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VICTORIA/Requiem




Harry Christophers/
The Sixteen
CORO/CORSACD 16033(hybrid SACD)



2001年に創設されたイギリスのレーベルCOROは、当初はCOLLINSというすでに活動を停止したレーベルにあった「ザ・シックスティーン」のカタログをリマスターして再発するということを行っていました。それは、以前こちらでご紹介したことがありますね。しかし、最近ではそのような旧録音だけではなく、独自に新しい録音も始めるようになったようです。その最新作が、このヴィクトリアの「レクイエム」とモテットを集めたアルバムです。スペインのルネッサンスを代表する作曲家、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリアには、若い頃に作られた4声部の「レクイエム」がありますが、ここで聴けるものは、彼の最晩年の作品、というか、殆ど最後の作品となった、1605年に作られた6声部のものです。
この「レクイエム」、当時の慣習なのでしょうが、それぞれの曲に先だってグレゴリオ聖歌が演奏されています。それを聴いていると、まるでデュリュフレの作品を聴いているような錯覚に陥るのは、ちょっと不思議なものです。もちろん、デュリュフレの方が昔からあったこの旋律をほぼ完璧にコピーして、現代の作品として蘇らせたのですから、そんな感想を持つのは正しいことではないのでしょうが、350年もの時を経た作品の間に、グレゴリオ聖歌というものを介して全く同じテイストを感じることが出来たというのは、何かものすごいことのような思いがします。ほんと、「奉献唱」など、そのまま続けてデュリュフレの作品になってしまっても何の違和感も抱くことはないようなアブなさがあります。
この曲は、ヴィクトリアが仕えた皇太后マリアの葬儀のために作られたものなのですが、ここには死者を悼む哀しみよりは、むしろ天に召されることに対する祝福のようなものを感じてしまうのは、いけないことなのでしょうか。というのも、この曲のなかで使われているモチーフが、ことごとく上昇音型によったもののように聞こえるからです。その最も印象的なものが、冒頭の「入祭文」の、お馴染みのグレゴリオ聖歌に続いて聞こえてきます。まるでファンファーレのようなそのフレーズからは、まさに昇天のイメージがかき立てられてもそんな見当外れではないと思うのですが。
そのように感じてしまったのは、クリストファーズたちの演奏が、湿っぽさなど微塵も感じられない華やかなものだったことと、大いに関係があるに違いありません。まるで鋼のように伸びのあるソプラノパートと、それを張りのある声で包み込む他のパート、そして、さらに厚みを増すために加えられたオルガン。それらが録音会場であるシラス教会のなかで響き渡る時、あたかも私達がとても晴れがましい祝典にでも参列しているような気持ちになるのはごく自然の成り行きです。
そして、先ほど、現代のデュリュフレの作品とも何の違和感もなく共通点が見いだせたのは、そのような華やかさに加え、彼らがこの曲から現代でもしっかり通用するようなエモーションを引き出しているせいなのでしょう。それぞれのパートが熱く思いの丈を込めて歌い上げる姿からは、時代も、そして宗教も超えた、まさに魂のほとばしりのようなものが伝わってきます。このような体験を味わうことを、あるいは「感動」というのかもしれません。便秘の時にもそんな「ほとばしる」体験が(それは「浣腸」)。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-21 19:48 | 合唱 | Comments(0)