おやぢの部屋2
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MOZART/Piano Concertos 6,15&27


Pierre-Laurent Aimard(Pf)
Chamber Orchestra of Europe
WARNER/2564 62259-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-11886(国内盤 1123日発売予定)


また、モーツァルトです。まだモーツァルト・イヤーになっていないうちからこんなに取り上げているなんて、いったい来年にはどんなことになっているのでしょう。それにしても、「生誕250年」などという半端な数字でこれだけ盛り上がるのですから、すごいものです。というより、こんなものはただの口実、とにかくみんなモーツァルトが好きなんです。本当はいつだって大騒ぎをしていたいのでしょうが、それもなんですからこういう「当たり年」にかこつけて、おおっぴらに聴きまくろう、演(や)りまくろう、ということなのでしょう。もちろん、私もモーツァルトは大好き、こういう時でないと出せないようなちょっと変わったアルバムを、大いに期待しているところです。
エマールがモーツァルトの協奏曲を録音してくれた、というのも、もしかしたらこの流れの恩恵なのかもしれません。殆ど「現代物」のスペシャリストとして、メシアンやリゲティの演奏で衝撃的な世界を見せてくれたエマールでしたが、ベートーヴェンの協奏曲に手を染めたあたりからレパートリーに広がりを見せてきたのは、ご存じの通りです。もっとも、そのベートーヴェンは、相方のアーノンクールの趣味が前面に出すぎていて、私にとってはちょっと、でしたが。
今回のモーツァルトでは、まず曲目の選択からして、一本筋の通ったものになっています。6番、15番、27番と、彼の若い時期から晩年までの長いスパンを網羅しているとともに、全ての曲が「変ロ長調」で書かれているという共通点があるのです。ライナーノーツを執筆しているリンゼイ・ケンプによると、この変ロ長調というキーは、モーツァルトにとって「もっとも分かりやすい種類の幸福と結びついている」ものなのだそうですから、そのあたりの情感の反映が時代と共にどう変わっているかを検証するのが、エマールの目論見だったのかもしれません。
6番と15番では、この「幸福感」が存分に味わえます。オーケストラはベートーヴェンの時と同じヨーロッパ室内管、しかし、指揮者はおかずにエマールが自ら「director」という立場でオーケストラの面倒を見ています。「conductor」というほどの強い意志は示さず、もっぱらオーケストラの自発性を生かそうというスタンスなのでしょうか。ここでは、ピアノとオーケストラの音楽性は見事な調和を見せていて、伸び伸びとしたモーツァルトの「明るさ」を心ゆくまで楽しむことが出来ます。6番の3楽章で大活躍するホルンの生き生きとしたことといったらどうでしょう。
ところが、27番になると、様相は一変します。1楽章のオーケストラのイントロがこんなに「暗く」聞こえてくる演奏は、今まで聴いたことがありません。もしかしたらエマールは、ここで「変ロ長調」と同じ調号である(平行調とも言う)「ト短調」を意識しているのでしょうか。しかし、ピアノもオーケストラも申し合わせたように妙な「溜め」を作っていて、音楽が停滞して流れていかないのにはちょっとついて行けません。2楽章も、その重々しい足取りは変わりません。そして、まるで羽根が生えて舞い上がるような軽やかさを持っていて欲しい3楽章のロンドでも、そんな期待が満たされることは決してありません。思わせぶりな暗さ、妙な引っかかり、そして不思議なアクセント、こんな音楽はまるで先ほどのアーノンクールの趣味そのものではありませんか。このオーケストラに染みついたこの「偉大な」指揮者の陰が、ここにもチラチラしているのではないか、そんな印象を強く受けるものでした。言ってみれば、とても相性が良いと思って「幸福」な気分で付き合っていたら、いきなり情夫が顔を出して、美人局だと分かったようなもの。こんな品のない喩えは、このサイトではいつもだぜ
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by jurassic_oyaji | 2005-10-26 20:12 | ピアノ | Comments(0)