おやぢの部屋2
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MOZART/FLute Concertos



Sharon Bezaly(Fl)
Juha Kangas/
Ostrobothnian Chamber Orchestra
BIS/BIS-SACD-1539(hybrid SACD)



ハイブリッドSACD仕様、しかも、「日本語解説」が付いている上に、豪華総天然色の、分厚いこのレーベルの完全カタログ同梱されていて1400円前後のバジェット・プライスという、信じられないような価格設定になっている、BISの「お姫様」シャロン・ベザリーのニュー・アルバムです。ただ、「日本語解説」と聞いて、この前のノリントンの「巨人」のようにブックレット自体に日本語が印刷されていることを期待したのは、間違いでした。あの時と同じ輸入業者なのですが、このレーベルに関してはそこまでの力が及ばなかったのでしょう、「タスキ」の裏側にちょっと長めのインフォが付いているだけ、という程度にとどまっていました。こういうものを、普通は「日本語解説」とは呼びません。
ベザリーを最初に聴いたのは、1999年4月に録音されたモーツァルトのフルート四重奏曲でした。なかなか清潔な演奏、音もきれいだしテクニックも確かなのに、なんの訴えかけも感じられないのには、失望したものです。それから丸6年、2005年の4月に録音されたこの協奏曲集では、彼女のモーツァルトはどのような変化を見せていることでしょう。
まず、最初に気づくのは、その録音の不思議なバランスです。決して大人数ではないオーケストラの音は眼前に大きく広がっている(そのために、弦楽器の粗さがかなり目立ちます)というのに、肝心のソロ・フルートの音像がはるか後ろに定位しているのです。これは、前作でのアホの協奏曲でも見られた録音ポリシーなのですが、あくまで主役はフルートであるモーツァルトの曲でなぜもっとソロを前面に出さないのか、理解に苦しむ措置です。あるいは、これが「サラウンド」で聴く時のベストポジションなのでしょうか。もしそうだとしたら、それはエンジニアの考え違いでしょう。少なくとも演奏を通じて聴衆に何かを訴えたいと思っているアーティストであれば、このような扱いを受けて黙っているはずはない、と、私は確信します。
したがって、ただでさえ主張の乏しいベザリーの演奏からは、このような音場ではますますそのメッセージを受け取るのは困難になってきます。そこにあるのはひたすら肌触りよく流れる心地よい音のつながり、その中から作曲者がこれらの曲に込めたであろう、ある種の緊張感を探し出すことは不可能です。6年前にはあまり見られなかった、音符をあとからふくらますという彼女の趣味は、これをさらに助長しています。音の頭が明確でないために、例えばニ長調の協奏曲の有名なロンド主題は、



のように聞こえるという、大変みっともないことになってしまいました。
ところで、このアルバムで使われているカデンツァは、フィンランドの作曲家カレヴィ・アホが作ったものです(いえ、誰も「カレシ、アホ」なんて言ってません)。先ほどもちょっと触れた協奏曲など、彼女の「才能」を高く評価しているアホは、多くの作品を彼女のために作っています。その流れから出てきたこれらのカデンツァ、実は、私はこれを聴きたいためだけに、このアルバムを買ったようなものなのです。これと同じようなケースで、以前、シュニトケがギドン・クレメルのために書いたベートーヴェンの協奏曲のためのカデンツァは本当に衝撃的なものでしたから、ここでもそんな斬新なものを期待したって、良いではありませんか。しかし、聞こえてきた多くのカデンツァは、平凡極まりない陳腐なものでした。それこそいにしえのドンジョンあたりのものと何ら変わらないテイスト、いったいどこに「作曲家」としてのアホのアイデンティティがあるというのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-28 14:01 | フルート | Comments(0)