おやぢの部屋2
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MOZART/Messe en Ut Mineur

S.Piau(Sop), A.-L.Sollied(Sop)
P.Agnew(Ten), F.Caton(Bas)
Emannuel Krivine/
Acceutus
La Chambre Philharmonique
NAÏVE/V 5043



今年のゴールデン・ウィークのあたりに、東京でユニークな音楽祭が開催されていましたね。「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」とか言う、同時に複数の会場でコンサートが開かれている中を、聴衆は自分の好きなところを選んで足を運べる、というものでした。この音楽祭、元々はフランスのナントで10年近く続いたものが、日本に移ってきたものなのですが、その、本場ナントの昨年の音楽祭でデビューしたのが、この「ラ・シャンブル・フィルハーモニク」という、オリジナル楽器のオーケストラです。そして、このオーケストラのデビュー・アルバムが、なんと、この「ハ短調ミサ」なのです。もちろん、レーベルはこの音楽祭と深い関係があるNAÏVE、したがって、合唱もこのレーベルの看板、アクサントゥスということになります。
このオーケストラ、創立にあたってのイニシアティブを取っていたのが、エマニュエル・クリヴィヌだというのは、ちょっと意外な気がします。元々ヴァイオリニストとしてそのキャリアをスタートさせたこの指揮者、その活動のエリアは完全にモダン・オーケストラの中だと思っていたので(確か、NHK交響楽団にも客演していましたね)、いまさらオリジナル楽器のオーケストラと深い関係を持つことなど、ちょっと考えにくかったのです。しかし、そもそもヴァイオリニストから指揮者に転向したこと自体が相当に異色なことなのですから、モダンからオリジナルに転向するのだって、本人にとってはそれほど奇異なことでもなかったのかもしれません。どんなフィールドを選ぶにせよ、最終的にはその人の音楽性が物を言うのですからね。
このアルバムを聴くと、そのようなある種の挑戦は、非常に良い形で実を結んだことが実感できます。ここには、「オリジナル」の専門家と呼ばれるような指揮者が見落としていたのか、もしかしたら故意に排除していたようなある種の「美しさ」が、確かに存在しています。それは、人間が当たり前の生活の中で無条件に「美しい」と感じられる、いわば自然に逆らわない情感のようなものなのかもしれません。
ただ、声楽陣に関しては、そこまでの注意が行き届かなかったのか、オーケストラほどの完成度が見られないのが、惜しまれるところです。合唱は、いつもながらのあと一歩の踏み込みが足らないじれったさが、ここでも現れてしまっています。特に、ソプラノパートが、ポリフォニーでの「入り」にことごとく失敗しているのが、非常にみっともないところ。さらに、「Qui tollis」で8声部となって、各パートの人数が少なくなると、とたんに粗さが目立ってくるのも残念です。
ソリストも、ピオーにしてもソリードにしても、変なクセがあってちょっと理想的とは言い難い人選ではありますが、部分的に、例えば「Et incarnatus est」で、3本の木管楽器とのアンサンブルを繰り広げているピオーなどは、なかなかのバランス感覚を披露してくれています。ハンタイのトラヴェルソを初めとする木管のソリストも聴きものです。
さすが、モーツァルト・イヤー、とうとう同じ曲を3種類も集中的に扱うことになってしまいました。ただ、これらは全て異なるコンセプトによって作られた版によるものだというのが、面白いところです。今回は「エーダー版」、あくまでも自筆稿を最大限に重視した生真面目な、それだからこそ「原典版」としては相応しいものなのでしょうが、その上にさらにイマジネーションを加えたマクリーシュの「モーンダー版」やリリンクの「レヴィン版」を聴いてしまうと、物足りなさは残ります。
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by jurassic_oyaji | 2005-12-12 20:05 | 合唱 | Comments(0)