おやぢの部屋2
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BARTÓK/Concerto for Orchestra




Christoph Eschenbach/
The Philadelphia Orchestra
ONDINE/ODE 1072-5(hybrid SACD)



かつて、オーマンディの時代には、COLUMBIARCAという当時の2大レーベル(現在では、SONY-BMGというものに統合されてしまいましたが)にまたがっておびただしい数の録音を行い、オールマイティな力を見せつけてきたフィラデルフィア管弦楽団ですが、そのあとのムーティ、そしてサヴァリッシュの時代になると、膨大な経費を要する大オーケストラの録音というものがレコード会社からは敬遠されるようになり、ついにはその頃の所属レーベルであったEMIから、「解雇」されてしまうという事態に陥ってしまうのです。ですから、2003年に音楽監督に就任したエッシェンバッハは、今までこのオーケストラと演奏したCDをリリースしていなかったという、ちょっと信じがたいような状況の中にあったのです。
そして、待望のニューリリースは、なんと、フィンランドのマイナーレーベルであるONDINEからなされたというのも、昔日の栄光を知るものにはちょっと意外な事であるかも知れません。しかし、まずは自主制作盤ではないものが世に出て、これからも継続してのリリースが予定されている事を素直に喜びたいものです。
昨今の事情を考えれば当然ですが、この録音もセッションによるものではなく、通常のコンサートをライブ収録したものです。そしてそれは、2005年の5月に行われた、第二次世界大戦終了から60年が経った事を記念するコンサートでした。このコンサートは、その戦争の際にファシズムによってもたらされた悲劇に真っ向から目を向けていこうという強い意志が込められたものになっています。ここで取り上げられた3人の作曲家は、いずれも望まない形で祖国を離れなければなりませんでしたし、そのうちの一人、ギデオン・クラインは、アウシュヴィッツで25歳の若さで命を絶たれているのです。
マルティヌーが1943年に作った「リディツェ追悼」は、1942年の6月にプラハ西部のリディツェという小さな町で起こったナチによる虐殺を追悼するものです。不気味な雰囲気を醸し出す冒頭の部分とは裏腹に、曲の大半は極めて澄みきった「美しい」シーンで占められています。それだからこそ、邪悪なモティーフが際立って聴くものの注意を惹くのでしょう。本当の哀しみは、やりきれないほどの美しさの中にこそ、潜んでいるのかも知れません。
1941年にテレジンの収容所に送られたクラインが1944年に作った弦楽三重奏のための曲を、1990年にチェコの作曲家サウデクが弦楽合奏用に編曲したものが、「弦楽のためのパルティータ」です。ディヴェルティメント風の軽快な楽章に挟まれた真ん中の楽章が、モラヴィアの民謡をテーマとしたゆったりとした変奏曲、それがどんな思いを反映したものかは、明らかでしょう。
そして、バルトークが1943年に完成させた有名な「オケコン」も、その第3楽章の「エレジー」に同じ思いを読み取るのは容易な事です。ここで聞こえてくるピッコロのソロは、日本人メンバーである時任和夫さんによるもの、深い響きの中に、確かな「意志」を感じる事は出来ませんか?この流れからは、次の楽章の中で唐突に出現するヴィオラの甘いメロディーにも、別な意味を感じ取れるのではないでしょうか。
図らずも、1940年代のほんのわずかの期間に作られたこの3曲を並べて演奏したエッシェンバッハの思いは、間違いなく私達に伝わってきました。このような確かな意味のあるものをリリースするという姿勢、もしかしたら大量の音源制作が難しくなってしまった時代だからこそ、可能になったのかも知れません。そんな、確かな価値を感じる事が出来るアルバムです。
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by jurassic_oyaji | 2006-02-01 19:52 | オーケストラ | Comments(0)