おやぢの部屋2
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BACH/Oboe Concertos



Marcel Ponseele(Ob)
寺神戸亮(Vn)
Ensemble Il Gardellino
ACCENT/ACC 24165



先日話に出たコープマンのオーケストラにも参加していたバロック・オーボエの名手、マルセル・ポンセールのソロアルバムです。こういったオリジナル楽器のフィールドではしばしばお目に掛かることが出来るこのオーボエ奏者は、最初に耳にした時から、そのあまりの音程の良さに驚かされていたものでした。それまで私が聴いていたその時代のオーボエの音は、確かに素朴な音色ではあってもそれと同時に我慢がならないほどのいい加減な音程で演奏されていたもの、それは、半ばこの楽器の宿命と思っていただけに、彼の演奏にはまさに目から鱗が落ちる思いだったのです。最近のこういう団体での管楽器セクションでは、もはや以前のようなとんでもない音程の持ち主は殆ど見かけられないようになってきています。まさに「やれば出来るじゃん」という感じ。ここに来るまでには、彼のようなある意味「天才」の存在が必要だったに違いありません。フルートの分野でも、彼の同僚ハーツェルツェットあたりが、そんな役割を果たしていたのでしょう。もはやスティーヴン・プレストンの時代ではなくなっているのです。
実は、殆どアンサンブルの中でしか彼の演奏を聴いたことはありませんでしたから、ここでのソロには、さらに驚かされてしまいました。まず、オーボエの音色が、実にしっとりとした深い響きを伴ったものに対する驚きです。彼自身が制作したというその楽器からは、極論すればモダン・オーボエをしのぐほどの豊かな音楽性が伝わってきたのです。そして、もう一つの驚きは、緩徐楽章に於ける意外なほどの素っ気なさです。例えば、BWV1053aのシシリアーノでの、流れるようなリズムに乗った滑らかな歌いぶりはどうでしょう。この時代の音楽を専門に扱っている演奏家が好んで取っている「くさい」表現とは一線を画した、実に見晴らしの良い音楽を、この楽器に於けるトップランナーは見せてくれていたのです。妙にこねくり回さなくてもしっかり伝わってくるものはあることを、彼は身をもって教えてくれているのですね。同じような表現は、断片しか存在していなかった協奏曲を復元したBWV1059Rのアダージョ楽章でも見られます。ジョシュア・リフキンが、カンタータ156番のシンフォニアを転用したこの楽章、なんのことはない、ヴァイオリン協奏曲(フルートで演奏することもあります)として知られているBWV1056のクラヴィーア協奏曲のアダージョ楽章と同じものなのですが、この「有名な」曲からも、素直な表現の美しさを存分に味わうことが出来ます。
最後に、とっておきの驚きが。なんと、このバッハ・アルバムの中に、マーラーの音楽がカップリングされていたのです。「リュッケルトの詩による歌曲」として知られる曲集の中の、「私はこの世に見捨てられ」という、メゾソプラノの歌手によって歌われるオーケストラ伴奏の歌曲が、このバロックアンサンブルの編成で演奏されています(編曲はポンセール自身)。原曲で大活躍するコール・アングレを想定して、ここではオーボエ・ダ・カッチャ(もちろん、彼が作った楽器だっちゃ)をフューチャー、BWV1060aのドッペル・コンチェルトで見事な共演を披露していた寺神戸亮のヴァイオリンと絡みつつ、マーラーをバロック時代の楽器で演奏するという、ちょっとあぶない、しかし魅力的な試みが、私達を魅了しないわけがありません。肝心のメゾソプラノのソロが、殆ど目立たないチェロによって演奏されることにより、原曲とは全く様相を異にする世界が広がります。しかし、その先にある風景は、マーラーが見ていたものと何ら変わるところがない、というのが、驚き以外のなんであるというのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2006-02-13 19:47 | オーケストラ | Comments(0)