おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem

Hjordis Thébault(Sop),Gemma Coma-Alabert(MS)
Simon Edwards(Ten),Alain Buet(Bas)
Jean-Claude Malgoire/
Kantorei Saarlouis
La Grande Écurie et la Chambre du Roy
K617/K617 180



モーツァルトの「レクイエム」の、さまざまな版には目のない人にとっては、「リオ・デ・ジャネイロ版」などという今まで聞いたこともなかったような名前が挙げられれば、何をおいても飛びついてしまうことでしょう。これは、この曲が初演されてから30年近く経った1819年に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで演奏された際に、最後の楽章である「Communio」という、「Lux aeterna」で始まるテキストを用いた曲のあとに、例えばフォーレやヴェルディの作品には含まれる「Libera me」という楽章を加えたものなのです。この部分を作曲したのが、ジギスムント・フォン・ノイコムという、1778年生まれのオーストリアの作曲者です。彼自身も1815年にパリで初演されたハ短調の「レクイエム」(唯一の録音はCAMERATA/25CM555)も作っています。つまり、この「リオ・デ・ジャネイロ版」というのは、モーツァルト、ジュスマイヤー、そしてノイコムという3人の作曲家の合作によって出来上がった曲なのです。ただ、この楽譜は長いこと知られることはなかったのだそう。それが、ごく最近リオ・デ・ジャネイロの大聖堂の書庫で発見され、それを用いて200511月にほぼ200年ぶりに「再演」された模様が収録されたのが、このCDだと言うのです。まるで測ったかのように「モーツァルト・イヤー」に間に合ったというのが、歴史の縁(えにし)というものなのでしょうか。それとも・・・。
マルゴワールにとっては2度目となるこの曲の録音、前回1986年の時には、ソリストにあのドミニク・ヴィスを起用したということで印象に残っていました。今回聴き直してみると、「ジュスマイヤー版」とは言っても、「Dies irae」あたりでちょっとしたリズムの変更などが行われていたのですね。しかしこれは、あくまで指揮者の趣味の問題で、「改訂」と言うほどの大げさなものではありません。新しい録音でもこのあたりの解釈は踏襲されています。
しかし、ライブ録音、しかも、その様な特別なコンサートということもあって、今回のものは全体に非常に勢いのある演奏に仕上がっています。今時珍しいキンキンしたガット弦の響き、残響の多い会場のアコースティックスと相まって、かなり明るめな音色に支配されているという印象を受けてしまいます。
実際、その音色に合わせるかのように、演奏の方も明るめ、というか、やや脳天気な雰囲気で進んでいきます。「Lacrimosa」などは、ですから、前回とはうってかわった、ちょっと普通では聞けないような元気いっぱいの音楽に仕上がっています。
そして、ジュスマイヤーが、師の作った「Kyrie」を使い回して作った「Cum sanctis tuis」のフーガが終了して、いわゆる「ジュスマイヤー版」が終わったあとに登場するのが、今回の目玉、ノイコムによる「Libera me」です。これは、一聴して、ジュスマイヤー以上にモーツァルトとは異なったセンスが込められた音楽であることが分かるという、垢抜けないもの、いたずらにドラマティックに盛り上げようとする下心だけが見えてくる曲です。これだけを単独で演奏すれば、それなりに聴きばえはするのでしょうが、あの「レクイエム」のあとに置くには、完璧に何かが足りません。7分以上かかるこの大曲、後半の「Dies irae」や「Requiem aeternam」というテキストの部分は、そのモーツァルトの曲をそのまま引用しています。それはそれで、この作品に敬意を払った結果だと思えなくもないのですが、そのあとでもう1度ノイコムのテーマが戻ってくる時のダサさといったら。
ノイコムは、ミサの典礼に合わせて、リオの教会から頼まれてこの曲を作ったといいます。締め切りに迫られていたのでしょうか(それは、「追い込む」)。もしかしたら、その時演奏されたきりでずっと書庫の中に埋もれていた方が、この曲、そしてこれを作った人間にとっては幸福だったのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2006-02-20 20:53 | 合唱 | Comments(0)