おやぢの部屋2
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VIVALDI/Flute Concertos


Emmanuel Pahud(Fl)
Richard Tognetti/
Australian Chamber Orchestra
EMI/347212 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55805(国内盤 3月31日発売予定)


このジャケット、「パユさま」が物憂げに下を向いているショットがなかなか素敵ですね。ただ、このアングルだとおでこのサイドの部分がかなり上がってきてるのがはっきり分かってしまって、そういう意味での哀愁が感じられてしまうのはファンにとってはちょっと辛いことかも知れません。ある特定のアングルからの写真は決して認めないというゲ○バーのようなピアニストとは異なり、「全ての面で私を愛して欲しい」という気持ちの表れなのでしょうか。それとも、「外観ではなく、音楽で勝負」という境地に、ついに彼も達したという事なのでしょうか。
ヴィヴァルディの有名な作品10の協奏曲を中心としたパユの最新録音は、共演にオーストラリア室内オーケストラという新鮮な組み合わせを得て、今までになく斬新な味わいを持つ仕上がりになりました。このオーケストラは特に指揮者というものは置かず、コンサートマスターのリチャード・トネッティが中心になって、音楽を作っていくという形を取っています。そこからは非常にフットワークの軽い、自発的な音楽が生まれてきていることを感じることが出来ることでしょう。特に、アルバムを聴き始めてすぐ気付くのが、ダイナミックスの自在な変化です。作品10の1「海の嵐」の冒頭で、わずか1小節の間に急激なクレッシェンドとディミヌエンドを加えられているのを聴けば、そこからはショッキングなまでの躍動感が得られることを誰しもが感じないわけにはいきません。このような、生命感溢れる表情付けは、このアルバムを通して貫かれている彼らの一つの主張になっています。人によっては、終わりごろには「もういいや」と思う人がいてもおかしくないほど、それは執拗に迫ってきます。
パユのフルートは、そんな、ある意味作為的な流れの中で、特にソロとして目立つことのない、アンサンブルの中にしっかり溶け込んだ堅実な演奏ぶりを見せてくれています。しかし、それは見かけ上のことで、その様なさりげないそぶりの中に、実はものすごいテクニックと集中力が秘められていることには、果たしてどれほどの人が気づくのでしょうか。細かい音符が続くパッセージの中で、まるで一陣の風が吹き抜けたような錯覚に陥ったのは、絶妙なフラッター・タンギングのなせる技だったとは。
ゆったりした楽章では、彼らはもう少しの別の表情を見せています。そこでは極力ビブラートを抑えたパユのソロが中心になることによって、極めて禁欲的な佇まいが広がることになるのです。ある時などは、これ以上抑制したらもはや音楽ではなくなってしまうのではないかというほどの、ギリギリの段階で踏みとどまった極限のピアニシモに導かれて、あたかも異次元の世界の中にいるような体験が味わえるはずです。
もしかしたら、これはヴィヴァルディの音楽ではない、と感じる人がいたとすれば、それは、私達がランパルやゴールウェイによって開かれた健康的で豊饒な世界を知っているからなのかも知れません。例えば、作品10の5のような夢見るような穏やかな曲の中からも深刻な翳りを引き出さずにはいられないパユたちのアプローチによって、私達はヴィヴァルディの根源に関わるような問いを彼らから投げかけられていることを知るのです。その様なヴィヴァルディが果たして真実の姿なのか、あるいは一過性の流行なのか、それは歴史が証明してくれることでしょう。それまでは、ピーナッツの殻でもむきながら(それは「落花生」)気長に待つほかはありません。
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by jurassic_oyaji | 2006-03-09 19:37 | フルート | Comments(0)