おやぢの部屋2
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Le Cantique des Cantiques




Anders Eby/
Mikaeli kammarkör
FOOTPRINT/FRCD 011



アルバムのサブタイトルが「フランス語による合唱音楽」、ア・カペラ混声合唱による「フランス語」がテキストとなった4人の作曲家の作品が集められています。有名なドビュッシーの「シャルル・ドルレアンによる3つのシャンソン」が1904年に作られていますが、他の3曲はいずれも20世紀半ば以降の作品です。
表題の「ソロモンの雅歌」は、もちろんパレストリーナの作品で有名な、旧約聖書の「雅歌」からテキストが取られたものです。これを作った1908年生まれのフランスの作曲家、ジャン・ダニエル=ルシュールは、ブーレーズやジョリヴェなどと「若きフランス」というグループを結成していたことでも知られていますね。1952年にマルセル・クーロー(この合唱指揮者の手によって、クセナキスの「夜」や、メシアンの「5つのルシャン」など、数多くの名曲が命を吹き込まれました)に委嘱されて作ったこの曲は、彼の最も有名な曲として世界中で演奏されているそうですが、私が聴いたのはこれが初めてです。
しかし、スウェーデンの合唱団、ミカエリ室内合唱団は、その私の初体験を、いかにも棒読みのような薄っぺらなフランス語の発音で、いささか白けさせてくれました。これが発音だけの問題に終わらないのが、ちょっと困ったところです。「北欧」と言われて連想されるようなキッチリしたハーモニーが、なかなか生まれてこないもどかしさ、ちょっとした「ゆるさ」が、そこにはあったのです。私の過大な期待に対する見返りがこれなのか、と思い始めた頃、5曲目の「禁断の庭」になった途端、今までとは全く異なる明晰な響きが聞こえてきたのは、この曲がセミコーラスで演奏されていたからでしょう。ピックアップメンバーによるこの曲からは、怪しいまでのエロティシズムさえ漂ってくるような、真に迫った表現が感じられたのです。トゥッティでもこの水準が維持されていれば、何も言うことはないのですが。
フランセの「ポール・ヴァレリーの3つの詩」では、いくらか立ち直りを見せてくれたでしょうか。3曲目の「妖精」での、伴奏の軽やかなリズムパターンなどは、彼一流のの軽妙な持ち味をよく引き出しているものです。
ただ、多くの名演を体験してしまっているドビュッシーでは、この程度の演奏ではちょっと踏み込みが浅いと感じてしまうのは、仕方のないことでしょう。ディクションの欠点はここでも露呈されていて、言葉のイントネーションが活かされていない平板な表現に終始しているという印象は拭うことは出来ません。2曲目のアルト・ソロの、何とかったるいこと。
最後の曲は、ドイツの作曲家ヴェルナー・エックの「3つのフランス語の合唱曲」です。これがあったから、アルバムタイトル(サブタイトル)も「フランスの~」となっていたのでしょうね。1940年にバレエの中の曲として作られた物ですが、なぜか、この曲に最もシンパシーをおぼえてしまったのは、演奏家との相性が最も良かったせいなのかもしれません。ドビュッシーと同じ、シャルル・ドルレアンのテキストを、いかにもフランス風のハーモニーで包み込んだ作品、しかし、そこには明らかにドイツ音楽の論理性が見え隠れしています。不得手なフランス語でつい馬脚を現してしまったスウェーデンの合唱団、しかし、言葉に関しては同じような境遇にあったこの作曲家の作品からは、見事なまでの共感を引き出すことが出来たのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2006-03-17 19:34 | 合唱 | Comments(0)