おやぢの部屋2
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わだつみのこえ
 昨日の「おやぢ2」で取り上げた大木正夫、実は、私にとっては個人的に少なからぬ想い出があるものでした。といっても、あの「交響曲第5番」を実際に演奏したことがある、などというだいそれたものではありませんがね。
 あのNAXOSの日本人作曲家シリーズ、総合プロデュースをしている片山杜秀さんが毎回詳細なライナーノーツを寄せられています。その作曲家の殆ど全生涯がそれだけで把握できるほどの、相当な分量の資料(今回は10ページに及んでいます)ですから、文献としてこれ以上のものはないほどのものなのです。そこで、「HIROSHIMA」以降の作品としてあげられていた物の中に、「男声合唱組曲《わだつみのこえ》」というのがあるではありませんか。これは、戦没学徒の詩を集めた「きけわだつみのこえ」という、東京大学出版会から発行(後に、光文社のカッパブックスとして再刊、現在は岩波文庫から「新版」が刊行)された詩集からとられた田辺利宏さんの4つの詩に曲を付けたものに前奏と後奏を加え、6曲から成る組曲にまとめた作品です。そもそもは京都大学男声合唱団が大木正夫に委嘱して作られた物なのです。もちろん、初演は京都で行われましたが、その直後の再演を、実は私達、この間東京で演奏会を開いた合唱団の母体となった大学の男声合唱団が行ったのです。その時には、無伴奏の形で演奏されました。

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 それからほんの2、3年後、この曲をもう1度演奏会で取り上げようということになりました。それまでは楽譜は出版されてはいなかったのですが、これに合わせて(かどうか、その前後関係はあまりはっきりしていませんが)出版されたのが、この楽譜です。「出版」とは言っても、その版下は専門家が作った物ではなく、大木正夫本人が手書きで作った物です(その頃は「フィナーレ」なんてありませんものね)。出版に合わせて、無伴奏だったものにピアノ伴奏を加えるという改訂が行われています。これは、無伴奏で演奏された時の「音取り」が、非常に音楽の流れを損なうものだとの作曲者の判断に基づくものだそうです。
 タイトルにもあるように、この曲は「重複男声合唱」、つまり、4声の男声合唱が二つ、計8声部のために作られています。それぞれの合唱団は一方はオスティナート風の決まったパターンを演奏、それに乗ってもう一方の合唱団がテキストを、殆ど朗読のように、淡々と語る(もちろん、音程はあります)という形を取っています。私にとっては、今まで経験したことのないような不思議な音楽の世界でした。ただ、4曲目の「水汲み」という曲だけは、他の重々しい雰囲気とはガラリと異なる、まるで天上の世界のような透き通った明るさに支配されていたのが印象的でした。
 ただ、もちろん、その当時の演奏のアプローチとしては、「音楽」よりは、言葉としての「メッセージ」に、より重きを置いていたのは確かなはずです。当時の多くの学生に見られた、ある種の使命感、社会的なレジスタンスの意味だけで、この曲を歌っていたのは確かなことだったのだと思います。そして、その様な姿勢に、私自身はかなりの抵抗がありました。
 ですから、昨日の「HIROSHIMA」でも、その様な「訴え」だけが前面に押し出されたものを予想していました。しかし、そこに書いたように、そこからは、実に豊かな音楽的なメッセージを受け取ることができてしまったのです。単にある時代だけに通用する安っぽい「叫び」ではなく、50年以上を経ても色あせない普遍的な「美しさ」がそこにはあったのです。この「わだつみ」も、今の時代に演奏したものを聴けば、かつて私が演奏した時とは全く異なる「感慨」が生まれるのではないか、そんな気がしてなりません。
by jurassic_oyaji | 2006-03-22 21:53 | 禁断 | Comments(0)