おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
ダ・ヴィンチ・コード

 全3巻の文庫本、読み終わりました。あまりにもベタで恥ずかしいのですが、その本は「ダ・ヴィンチ・コード」、ほんと、こんな、どこの本屋さんに行っても一番目立つところにディスプレイされている本を読むなんて、私の信条には反するのですが、ハードカバーが出た時から、そのいかにも知的な「謎」に満ちているような騒がれ方には興味があったものですから。それと、近々映画化されたものが公開されるというのも、読んでみようと思ったきっかけです。
 ダン・ブラウンの筆致は、まるで映画のような場面転換の小気味よさを持ったものでした。それは、カット割りまで想像できるような、殆どそのまま映画の台本になってしまえる程のスピード感を持っています。最初の様々な無関係に見えるシーンが現れるところなどは、まさにハリウッド映画の常套手段、そして、その手法は物語の最後まで続く事になるのです。正直、この小説のテイストは、私が期待していたものとは全く異なるものでした。知的な謎解きは随所に登場するのですが、それは私が想像していたのとは全然違う次元での謎解きでした。つまり、「ダ・ヴィンチ・コード」というタイトルから想像される、ダ・ヴィンチ自身が作品の中に仕組んだ謎を解明する(それは、別の扱いで登場はしますが)、というのではなく、そこにあるのはあくまで登場人物が新たに仕組んだ「謎」であり、ダ・ヴィンチというのは単なる彩りに過ぎないものだったのです。その「謎」にしても、「ミステリー」ほどの知的なものではなく、殆ど「パズル」の域を出ない幼稚な仕掛け、しかも、その「解答」にしても、言われなければ分からないというひとりよがりの世界、それを、いかにもその人でなければ解けないような顔をして解明していく姿は、まさにハリウッドのご都合主義そのものではありませんか。
 恐らく、読んでいる人たちは、そんなわざとらしい謎解きよりは、登場人物達の、まさに火花を散らすような逃亡劇に興奮をおぼえるのではないでしょうか。もちろん、そのあまりにもできすぎたお膳立ての周到さには、辟易するとしても、これが映画になった時のアクションシーンを思い浮かべながら読み進むときのドキドキ感には、なかなかのものがありました。
 そして、最後近くで登場するどんでん返し、それで終わりだと思っていたらそのあとにはもっとすごいどんでん返し、さすがにこれにはびっくりしてしまいました。というより、これは、まさに今のハリウッドのプロットそのものではないですか。今のアメリカ映画の脚本家達は、いかにして見ているもの欺くかという点に、最も執心しているように思われます。それは次第に手の込んだものになってきて、最近ではただどんでん返しを見せたいためだけにストーリーを組み立てるという、本末転倒のような状況に陥ってはいませんか?
そして、それはこのような文学(というのはちょっとためらわれますが)の世界にも蔓延しつつある、という事なのでしょうか。この場合、確かにインパクトはすごいものがありました。しかし、そこまでして、という思いは残ります。こんな持って回った言い方、映画と同じで「ネタバレ」にならないように配慮した結果ですのであしからず。これをバラされては、この本の最大の価値(それ以外にはないのか、と言われそう)がなくなってしまいますから。
 後半、舞台がロンドンに移った時に、テンプル教会などという懐かしい場所が出てきたのには嬉しくなりました。別に、そこに行った事があるというわけではないのですが、ちょっと前にこの場所で行われたジョン・タヴナーの「テンプルのヴェール」という長大な曲のライブ録音を聴いたばかり、その時はこの教会については何も知らなかったのですが、これを読んで「へぇ~」となったという。実際、映画ではこの曲が挿入されるという噂ですし。
 主演のトム・ハンクスとジャン・レノが来日するなど、映画の方も公開が近づいて盛り上がっています。ただ、警部役のジャン・レノが、会見で「信じていたものに裏切られた」と言っていたのが気になります。原作のベズ・ファーシュはそんな柔な設定ではありません。となると、映画ではさらなる驚きが期待できるというのでしょうか。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-04-13 19:51 | 禁断 | Comments(0)