おやぢの部屋2
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MOZART/Die Zauberflöte
D.Röschmann, E.Miklósa(Sop)
C.Strehl(Ten), H.Müller-Brachmann(Bar)
Claudio Abbado/
Arnold Schönberg Chor, Mahler Chamber Orchestra
DG/00289 477 5789(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック/UCCG-1298/9(国内盤 5月24日発売予定)


ごく最近までNHKからかたくなに「アッバード」と殴られ続けていた(それは「アッパーカット」)「アバド」の「魔笛」です。モーツァルトの他のオペラはさんざん上演してきたアバドですが、なぜか「魔笛」に関しては慎重な態度をとり続けていて、何と、これが彼の最初の録音だということです。待たされた甲斐があったと言うべきなのでしょうか。
一部で「セッション録音」などという情報が流れていましたが、これはモデナのテアトロ・コムナーレに於ける、息子ダニエレ・アバドの演出によるプロダクションのライブ録音です。滑稽なセリフを受けて観客が笑い声を立てる生々しい情景がそのまま収録されていますし、なによりも一番最後には盛大なブラヴォーと拍手が入っているのですから、まちがいはありません。ただ、頻繁に音のバランスやまわりの雰囲気が変わるのがよく分かりますから、リハーサルなどのテイクも合わせて、かなり大胆に(と言うか、無神経に)編集しているのでしょう。
こんなやり方、今ではオペラのCDを作る時の手順としてすっかり定着してしまった感があります。もはやきちんとセッションを組んで精度の高い演奏を提供するというのはコスト的に不可能になってしまっているのは分かりますが、この、せっかくのアバドの「魔笛」の初物ぐらいは、せめてもう少していねいな作り方が出来なかったのか、という気がしてなりません。というのも、この演奏を少し聴いただけで、アバドがこの曲に寄せる思いには、とてつもなく深いものがあることを感じずにはいられないからなのです。これはまさに、オリジナル楽器の演奏家達のアプローチも視野に入れて、今まで彼が暖めていたアイディアが全てこの中に盛り込まれたのではないかと思える程のプロダクションなのですが、いかんせん、ライブ特有の歯がゆいまでの不完全さが、とてももどかしく感じられてしまうのです。「本当はこうやりたいのだろうな」と考えながら聴き続けるのは、かなり辛いものがありました。
具体的には、ソリスト達とアバドとのグルーヴの違いです。指揮者の求めているものは余計なものは極力そぎ落としたスマートなテンポ感。しかし、タミーノ役のシュトレールあたりは、それとは全く無関係なノリで全体をぶちこわしているのです。これなどは、セッションできちんとリハーサルをして注意深く録音を行えば、もう少し寄り添ったものが出来上がっていたことでしょう。
ですから、そんな中で指揮者の思いを完璧に受け止めたレシュマンの存在によって、この録音はあたかもパミーナが主役であるかのような、当初求めたものとは微妙に異なる形での完成度を見せつけることになりました。彼女は音楽的な面だけではなく、セリフだけで展開される「芝居」の部分でも、驚くべき存在感を主張しています。同様な存在感は、パパゲーノ役のミューラー・ブラッハマンにも見られます。全てのキャストがこの2人程の成熟度を見せていたら、このアバドの「魔笛」はとてつもない世界観を私達に届けてくれたことでしょう。
その一例として垣間見られるのが、この2人によるデュエット(第1幕フィナーレ直前の「第7番」/CD1Track12)のイントロで、クラリネットとホルンによるアコードをまるまる1小節分カットしたという「勇気」です。そもそもこのアコードは自筆稿には書かれてはいなかったもので、その扱いに関してはさまざまな説が主張されていましたが、これも一つの解決策、もちろん、それを実際の演奏で用いたのは、私の知る限りこのアバドのものが最初のはずです。
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by jurassic_oyaji | 2006-04-19 19:59 | オペラ | Comments(2)
Commented by ざらすとろ at 2006-04-22 17:31 x
7番のデュエットをオリジナル通りに演奏したのはアルノンクールが
最初だったと思います。
Commented by jurassic_oyaji at 2006-04-22 23:58
ざらすとろさま
コメントありがとうございました。
アーノンクールは木管の部分にセリフを入れていますね。
アバドはその部分をまるまるカットしたという別のやり方だと思います。