おやぢの部屋2
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BRUCKNER/Symphony No.4




Philippe Herreweghe/
Orchestre des Champs-Élysées
HARMONIA MUNDI/HMC 901921



ブルックナーの交響曲の中では最も人気があり、演奏頻度も高い「ロマンティック」ですが、そのカタログに初めてオリジナル楽器によって演奏されたものが加わりました。ヘレヴェッヘ率いるシャンゼリゼ管弦楽団という、「7番」でも同じ試みで大成功を収めたコンビ、ここではどのようなものを披露してくれているのでしょう。
使用した楽譜は、残念ながら「オリジナル」である1874年の第1稿ではありませんでした。ここでヘレヴェッヘが用いたのは最も一般的な1878年(第1~第3楽章)と1880年(第4楽章)のいわゆる「第2稿」の中でもさらに一般的な「ノヴァーク版」です。同じように、オリジナル楽器でブルックナー(3番)を演奏していたノリントンがあくまで「第1稿」にこだわったのとは対照的、ヘレヴェッヘの場合はより洗練された形になった物の中から美しさを引き出そうという姿勢なのかも知れません。
そんな「美しさ」を極めようとする意志は、第1楽章の冒頭のホルンソロからすでに感じることが出来ます。弦楽器のトレモロに乗って現れるそのホルンの音色は、よくある威圧的な雰囲気など全く感じられない、まるで雲の間から差し込む一条の光のような柔らかな輝きを持っていたのです。それに続く木管のユニゾンも、特にフルートの素朴な音色に支配されて、とてもまろやかな響きを醸し出していました。もしかしたら、それは微妙なピッチのズレによってもたらされたある種の曖昧さに由来するものだったのかも知れませんが。
そんな、金管と木管とでは微妙に求めているものが異なるアンバランス感の中で、音楽は進んでいきます。金管のトゥッティでも、決して「咆哮」にはならない爽やかさが、耳に心地よく響きます。鼻にも心地よいことでしょう(それは「芳香剤」)。それは、あるいは高音成分の多いガット弦の音色がブレンドされることによって実現した響きなのかも知れません。
弦楽器がパートソロを披露する場面が多く現れる第2楽章になると、1212、9、8、6という少なめの編成とも相まって、大編成のモダン楽器を聴き慣れた耳には若干の違和感が伴うかもしれません。正直、最初のチェロパートのテーマには、深みというものが全く欠けているという印象を誰しもが持ってしまうはずです。このような表現を認めるか否かというところが、ある意味素朴すぎるオリジナル楽器での演奏が一般的になるかどうかの決め手になることでしょう。中程で出てくるヴィオラのパートソロも事情は同じなのですが、そこでは響きの貧しさを補ってあまりある程の繊細な表情を見せることに成功しているのを思えば、ヘレヴェッヘのアプローチにはまだまだ捨てがたいものがあることも分かるはずです。
第3楽章になると、その様な小さな編成はフットワークの良さに変わり、わくわくするような躍動感が生まれています。「狩りのテーマ」があちこちから聞こえてくるシーンでは、そのやりとりの間に生まれるちょっとスリリングな「ズレ」が、作り込まれたものではない、即興的な味を出しています。
そしてフィナーレも、押しつけがましいところなど全く見せずに、進んでいきます。そこからは、ブルックナーの持つ「くどさ」に辟易している人にも受け入れられるような、確かな「美しさ」が伝わってくることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2006-05-06 20:03 | オーケストラ | Comments(0)